いわゆるニート[起業話#2]

会社を辞めた僕はいわゆるニートになった。

毎日海へ行き、サーフィン三昧の日々だった。

しばらくぶりに戻った故郷には、友達と呼べる人間は全くいない状態だったが、このサーフィン三昧の生活のお陰で、まずは海に友達ができた。

朝起きて、波チェックをし、いい波の時は一日中ひたすらサーフィンをしたり、写真を撮ったりしていた。

そして、夜は新しくできた友達と飲みに行き、楽しい時間を過ごす。

なんて自由な生活!

この時の生活は今思い出しても、いい思い出だ。

 

しかし、一般的な常識社会から見れば、超ダメ人間といえる生活だ。

失業保険が切れ、蓄えも底が見えてきた頃、さすがにちょっと焦りが出てくる。

大抵のことはおおらかに見てくれる両親だったが「仕事探せ」オーラがビンビン出ていた。

しかし、自由きままな生活の魅力を存分に味わったことにより、再びビジネスマンの生活に戻ることが想像できなくなっていた。さらに「就職するといい波の日に自由にサーフィンができない。」という、とんでもない理由もその当時の僕の中にはとてつもなく大きかった。

どうせ就職するなら、前職と同じくらいの収入は欲しかったが、それを見込める職が地元にはなかったということもある。

一度ハローワークの面談で希望月収を聞かれ、「40万」と答えると、面談担当者は絶句し、彼の顔には「オマエ馬鹿か?」と書いてあった。

 

結局、僕が選んだのはラジオ局の夕方のバイトだった。

・日中はサーフィンをしたい。

・長時間労働はいや

・気楽で責任のない仕事をしたい

というなんともはや、経営者となった今では、信じられない理由だった。

 

しかし、このラジオ局でのバイトが僕の人生にとって大きなターニングポイントを生む。

起業人生を決定づける大きな出会いがあったのだ。

もし、ここでその出会いをしていなければ、僕は企業せずにいずれ諦めてどこかに就職し、雇用者としての人生を続けていただろう。

出会いというものは、本当に不思議だ。

それが、あるかないかで大きく変わる出会いというのが世の中にはあるのだ。

もちろん、その時はそれには全く気がつかない。

後から思い起こしてみて「もしあの時あの人に出会っていなかったら…。」と考えると、ちょっとゾッとするような、その人の存在に心から感謝してしまう出会いというのが世の中にはあるのだ。

 

僕の人生のターニングポイントとなったドラマティックな出会いの相手は、バイト先ラジオ局の部長さんだった。

「ドラマティックな出会い」というドラマティックな言葉が全く似合わないおじさんだが。

僕はまぐれで合格し、県内一の進学校に通っていたのだが、さらに前職が誰もが知る航空会社のIT関連という、傍から見ると華々しい経歴を持つ奴が何故かラジオ局の夕方のバイトをしにやってきたという、物珍しさを聞きつけ、その部長はある日、僕のところへ興味津津でやってきたのだ。

IT関係のことを色々聞かれたが、素人以上のことを訪ねてくるので、よくよく聞くと、副業でサーバ管理をやっているという。

会社的に副業やってて大丈夫なのかと心のなかで突っ込みながらも、ちょっと飛んだその面白い部長おじさんとは気が合い、それからというもの、よく飲みに連れて行ってもらうようになった。

そしてある日、その部長おじさんが、僕にある依頼をしてきたのだ。

それは、知り合いがレストランをやり始めるから、そのホームページを作って欲しいというものだった。

僕は迷った。

確かにWEB関係の仕事をしてきたが、僕がやってきたのは開発者との調整をするディレクションで、実際にコーディング等の制作業務をしてきたわけじゃなかったからだ。

制作に関しての知識は全くないわけではなかったが、僕ひとりでそれを作りきれるか、悩ましかったのだ。

 

だが、僕は最終的にその仕事を受けることを決めた。

なんとなく、僕の本能のようなものが、やるべきだと言っていたのかもしれない。

そしてこれが、僕の起業人生初の仕事となるのだった。


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