珍道中続編(サンフランシスコ旅3日目)

時差ボケのせいか、夜中の3時に目が覚めた。
その後、布団の中でゴロゴロするものの、寝付けず現地のニュースを見る。
すると、昨日の嵐がトップニュースになっていた。
道路が川のようになり、そこを走っていたのだろう、車の天井に登り、レスキューを待つ人の姿がいくつもあった。
倒れた大木やその下敷きになった車や家、道路に大きく開いた穴に落ちる2台の車。
これだけ被害が発生したほど大変な嵐だったのだと、その時初めて認識した。
アナウンサーは、突然起きた、春の嵐として取り上げていた。
日本でいうお天気アナウンサーらしき人が解説をする。
そして、雨雲の動きを時系列で移動させながら、嫌なことを言う。
この嵐は、今日の11時まで警戒が必要で、その後、月曜日まで続くというのだ。
僕の便は11時発。
まさか、今日も飛行機は飛ばないのではないか…。
もしかして、当面サンフランシスコへは行けないのではないだろうか。
朝からため息しか出なかった。
運行状況を調べると今のところ予定通り運行にはなっていた。
しかし、とにかく空港へ行って状況を確認しよう。
今から二度寝する時間もないことだし、早めに空港に行くことにした。

身支度を整え、ロビーで会計を済ます。
丁度、空港行きのシャトルバスが出発する10分前だった。
たまたまのタイミングだったが、今後は事前にシャトルの出発時間を調べておいた方がよいということを学んだ。

朝から陽気な運転手が出迎えてくれる。
8割ほど席が埋まった状態で、時間通りに出発。
車内で始発の6時30分の便の運行状況を確認する。
「飛行中」どうやら、第1便は問題なく飛んだらしい。
少しの望みが見えてきた。
しかし、始発が飛んでも、その後が飛ばないことはよくあることだ。
まだ油断はできない。

シャトルは、何やら、アラートが鳴りっぱなしだが、運転手は気にせず走る。
一人目が降りるターミナルに着くと、ドアを確認している。
半ドアだったのだろうか。
それで走り続けるところが、アメリカらしい。
下車する人が、座席の前方に積んだ荷物のうち、3つが自分のものだと運転手に指を差して告げる。
しかし、運転手は2つ目を下ろしたところで、3つ目を忘れてしまったらしい。
これだよ。と教えると、haha!と笑っていた。

再びシャトルを走らせる運転手。
American Airlines!
僕が降りるターミナルだ。
バゲージは載せたか?と聞かれたので、僕は無いと言う(なんせ迷子だからね。)。
礼を言ってシャトルを降りた。

昨晩の欠航続きのせいか、荷物検査状は大いに混み合っていた。
スタッフのイライラが顕著に表れている。
アメリカの金属探知機は日本のようにくぐるだけではない。
筒状の機械に入り、両手を上げ、全身をスキャンされる。
問題なく通り抜けると、出たところで検査官がこれは誰のラップトップ(ノートPC)だ?と尋ねている。
僕のものだ。と答えると検査をするからこっちに来いという。
少し離れたところで、検査官はPCを機械に当て、ノートPCの縁を何か四角い紙のようなものでなぞっている。
何もやましいことはないので、検査官の様子を尻目に靴を履き、ジャケットを来て身支度を整える。
当然、OK!行っていいいよと言われた。
その機械は何だ?と尋ねると、ランダムに検査しているんだ。気にしないでくれと検査官は言った。

空腹を覚えたので、モッツァレラチーズとトマトバジルのパニーニを買い、売店でレモネードを買う。

すると、あなたもまだいたの?!と声を掛けられた。
みると、昨日カスタマーサポートで前に並んでいた女性だった。
もしかして、空港に泊まった?と聞くので、さすがにホテルに泊まったと答えると、そうよね。といった表情。
彼女はダラスに行くらしい。
お互いに良い旅をと言い合い別れた。
不思議なものだ。
この大きな地球上で35億の人がいる。
そんななかで、遠いアメリカの地で2日連続で出会い、言葉を交わし合う。
ご縁というのは、本当に不思議なものだ。

昨日と同じく搭乗エリアまではバスで移動する必要があった。
到着してから、ボーディングパスに書かれた52Hの搭乗口近くで温かいパニーニを頬張る。
パニーニは美味しかった。
昨日はほとんど何も食べられなかった。
到着してようやくご飯らしいご飯を食べた気がする。
早く空港に来たため、出発までは3時間ほどある。
気ままに過ごすことにした。
昨日の混乱の影響だろうか。
床で寝ている人がいた。
しかし、それは昨日の混乱の影響でないことがすぐに分かった。
僕の後から来た夫婦が突然床に寝そべり寝だしたのだ。
広い世の中、色んな人がいる。
搭乗まで時間がある時は床で睡眠をとるほどタフな人も中にはいるのだ。
僕にはちょっと真似出来ないかもだけど。

その後、トイレに行ったついでに運行スケジュールのモニターを見ると、サンフランシスコ行きは52Aに搭乗口が変わっていた。
アメリカの空港では日本の空港のようにご丁寧なアナウンスは一切ない。
次は52Aに移動する。
しかし、その時にマフラーをどこかで落としてしまったようだ。
搭乗口の係員に、マフラーを落としたのだけれども届いていないか、落とし物はどこで聞けるか聞けるか聞いたが、忙しいから他で聞いてくれとか、落とし物センターは今日は土曜日だから月曜じゃないと分からないとか、どのスタッフにもまともに取り合ってもらえなかった。
つくづく感じるが、ユーモアはあっても日本のように丁寧さや親身さはほとんどない。
そういった意味では、日本人は素晴らしいなと思う。
マフラーは諦めて、サンフランシスコに着いたらどこかで買うことにした。
その後、搭乗口が52Dから52Eと変わりすぎだろというくらい変わって。
ようやく搭乗開始になった。
前の便が遅れていたから、飛んでくれるか心配があったものの、よかった飛ぶらしい。安心しながらトラップを進むと、クレジットカードが落ちていた。
面倒に巻き込まれるのは嫌だったが、困っている人がいるだろうと拾い上げ、キャビンアテンダントに渡す。
もちろん彼女も迷惑そうな顔だった。

安心したのか、飛行中はずっと寝てしまった。
1時間ちょっとの飛行の後、ようやく待ち焦がれたサンフランシスコの町並みが見えてきた。
着陸の振動を心地よく感じ、気持ちが盛り上がる。
やっとだ!

気分が上がりながら、飛行機を降り、AA6078便のバゲージレーンへ向かった。
そして、若干の予想通り、僕の荷物は出てこなかった。
一緒の便だった他の人が次々と荷物を取り上げる中、寂しい気持ちになってしまう。
サンフランシスコ空港のバゲージカウンターへ行き、僕の荷物が出てこなかったことを伝える。
無愛想なスタッフはPCを叩くと、ああ、という表情をして奥に行ってしまった。
そして、開いたままのドアの向こうから微かに僕の愛しいスーツケースのターコイズブルーが見えた時の嬉しかったこと!!
ようやく出会えたねハニー!
まさに気分はそんな感じだった。

起きた問題が2つ解決した。
清々しい気分でホテルシャトルの乗り場に向かう。
サンフランシスコの乗り場にはホテル直通の電話がついていた。
しかし、シェラトンの番号がない。
しょうがないので、直接電話して、ホテルシャトルはあるかと聞くと、ないとのことだった。
タクシーか、チケットを買ってこちら方面のバスに乗ってくれと言う。
タクシーでもよかったのだが、できれば節約したい。
バスは時間がかかり過ぎるし、荷物が大変だ。
何かいい方法はないものかとインフォメーションカウンターへ行き、相談する。
すると、乗り合いタクシーで行くと良いと教えてくれた。

乗り合いタクシー乗り場で、フィッシャーマンズワーフのシェラトンに行きたいと告げるとお安い御用だとばかりにタブレットを使って手配してくれた。
15分ぐらいで来て赤白のラインがあるエリアに車をつけ、僕の名前を呼ぶからそしたら乗ってとのことだった。
時間があるので、ベンチに腰掛け待つことに。
すると、先に座っていたご婦人がお話好きらしく話しかけてくる。
日本から来たと言うと、彼女の親戚が2年間日本に行っていた。東日本大震災の時にもいた。あの時は大変だったね。という。
しばらくして、彼女の息子さんが迎えに来て、行ってしまった。
その直後に僕の乗り合いタクシーもやってきた。

バンの中にはすでに家族連れ4人とカップル一組が載っている。
運転手はおそらく、南米からやってきたらしくスペイン語鉛の英語を話す。
僕の後にもう一人ピックアップすると、運転手はサンフランシスコに向けてバンを走らせた。
一人あたり17ドル。
このバンだけで136ドルだ。
運転手の取り分は、いくらくらいなのだろう。
そんなことを考えながら、窓の外の景色に見とれた。
空港を出てサンフランシスコ方面に車を走らせると見えてきたのは小高い山。
高い木は生えていない。
その麓に可愛らしい家やアパートが立ち並んでいる。
20分ほど走っただろうか。
フリーウェイを降りるとすぐにサンフランシスコの町並みが広がる。
面白いほどの坂道の繰り返し。
隙間なく建つレトロなアパートやビル。
幸いにして、天気は晴れ。
ホテルに着くまで、軽い街中観光のようなものだ。
運転手は道を知り尽くしているらしく、一方通行が多いサンフランシスコの街中を余裕で走らせる。
車内のBGMもはスペイン語の曲ばかりだった。
好きな曲がかかると運転手は音を大きくした。

穏やかな気持だった。
日本の何事からも離れて、遠い異国の地を颯爽と走るのは気持ちがよかった。
ホテルに到着し、運転手に料金を支払う。
釣りはいらないというと、嬉しそうだった。

シェラトン・フィッシャーマンズワーフにチェックインすると、無事に予約が取れていた(よかった!)
部屋に行き荷物を降ろす。
柔らかな光が差し込む広々とした快適な部屋だ。

晴れている間を狙って早速フィッシャーマンズワーフを散策することにした。

この週末、アメリカは3連休だ。
フィッシャーマンズワーフには人が溢れていた。
陽気に戯ける大道芸人に、ただようシャボン玉、休日を楽しむ人々。
なんだか気持ちが満たされた。

お決まりのピア39でアシカとアルカトラズ島を眺めるが、風が強く、すごく寒い。

のんびりしたいところだったが、厚い雲がはるか彼方から近づいていたこともあって早々に引き返し始めた。
しかし、思ったほど雨雲が問題なさそうだったので、そのままクラムチャウダーを食べる。
アメリカに来たら、まずこれが食べたかった。

10年以上前、母と一緒に此処へ来た時に食べたクラムチャウダー。
その時に初めて、クラムチャウダーの美味しさに目覚めた。
パンをくり抜いた中に、熱々のクラムチャウダーがめいいっぱい入っている。
かもめの糞で汚れたベンチの安全な一角に座り、クルーザーを眺めながら頬張った。

小腹が満たされたところで、海沿いの路地を散策する。
途中、船着き場のエリアに人だかりができ、何か大きな動物の鳴き声が聞こえる。
下を覗き込むと、船の上に人が何人もいて、その人達が注目しているのは魚を手早くさばくおじさんだった。
おじさんは、船の上で待つ人達にさばいた魚を渡している。
そして、鳴き声の主は海の中にいるアシカだった。
アシカの狙いは、おじさんがさばいた魚の皮や捨てる部分だった。
アシカの声に応じて、おじさんが魚を投げる。
アシカはそれをキャッチしてモグモグ。
再びおじさんにラブコール。
いつまでも、鳴くアシカがあまりにうるさいのでおじさんはちょっとムカつきながら、魚を投げ入れる。
そんな繰り返しが面白く、みんな寄ってたかって見ているのだった。
それは、とてもほのぼのとした一幕だった。

アシカを後にして、再び散策をする。
観光地のため、立ち並ぶ店はお土産物屋ばかりだ。
最近の兆候なのか、以前はなかった明らかに中国人が営む土産物屋。
サンフランシスコなのに何故か中国のモノを売っているお店があったり、クローズしている店もあった。
人は多いが、必ずしも景気が良いわけではなさそうだ。
そういえば、クラムチャウダー屋が並ぶ一角の店もひとつ、中国人が営む店になっていたし、一番大きかった店が閉店していた。
そんなところはちょっと寂しさを覚える。

昨日はほどんど寝てないこともあって、今日は早めに切り上げることにした。
コンビニで水とポテトチップスを買って戻る。
ホテルのロビーには軽食とビールを飲むことができる一角がある。
そこでフリーWifiを使用できるので、ビールを飲みながら、明日合う友人と連絡を取り合い、滞在中に行くレストランに目星をつける。

その後、シャワーを浴びに部屋へ戻った。
フィッシャーマンズワーフで体が冷えたのだろう。
温かい湯がここちよかった。
つかるための湯船ではないので、ひどく浅いが、湯をためて浸かった。
フライトから珍道中の道のりで疲れが溜まっていたのだろう。
心地よさと共に意識が遠のく。
1日遅れとなったものの、無事到着できたサンフランシスコ。
ちゃんと出会えた愛しいターコイズブルーのスーツケース。
問題なく素敵な部屋を用意してくれていたシェラトン・フィッシャーマンズワーフ。
3つの問題はすべてクリアできた。
そして、その安心感と共に、僕は22時には夢の世界に誘われていったのだった。