僕が退院してからしばらくして、カズコさんから久しぶりに退院許可が出たという嬉しそうな連絡が来た。
経過がよい方向に向かったのかと思ったが、実際には、1週間ほどして直ぐにまた病院に戻り、その後手術をする必要があるということだった。
その頃、カズコさんは古いVHSをデジタルデータに変換する方法や昔の写真をデジタル化する方法を教えてほしいと時折連絡をくれていた。
また、スタッフの1人が結婚式を挙げる予定をしていたが、カズコさんは自分の手術の話や病気の話は、おめでたい結婚式が終わるまで伏せていて欲しいと言っていた。
カズコさんには旦那さんと2人の子供がいた。
一時帰宅の間に、家族と近場に遊びに行って、一緒に過ごす時間を楽しむと嬉しそうだった。
その後、スタッフの結婚式も終わり、カズコさんが再び入院した頃、僕はキャッシュ・フローとの戦いのため、変わらず、怒涛の日々を過ごしていた。
御見舞に行かなければと思いつつ、忙しさにかまけて足が遠のいていた。
そんな折、カズコさんの旦那さんから連絡が入った。
手術を終えたのだが、経過がよくないので一度会いに来て欲しいというのだ。
嫌な予感がした。
胸がぎゅっと縮まるような感触だ。
僕は急いで病院に向かった。
カズコさんはいつもいた3階ではなく、最上階の末期がん患者のフロアにいた。
病室に入る前に、旦那さんが待っていた。
旦那さんは、落ち着いた口調で、癌が脳に転移し、脳の手術をしたが、意識はあるものの意志の疎通が難しいことを教えてくれた。
僕は緊張した。
緊張して、カズコさんのベッドに向かった。
すると、そこには、これまで見たこともないほど衰弱した彼女の姿があった。
これまで抗がん剤治療のためウィッグをつけていたが、脳の手術の時に髪の毛を全部剃ったのだろう。
頭は包帯で覆われていた。
意識はあるものの、視線が虚ろで、言葉もはっきり話せない状態だった。
旦那さんに促されて僕は声をかけた。
「御見舞に来ましたよ。早く良くなるように頑張りましょうね。」
その言葉にカズコさんは何度も「はい」と答えてくれた。
僕はそれ以上の事が何も言えなかった。
その後、オフィスに戻り、旦那さんとも相談の上、スタッフのみんなにカズコさんの状況を伝えた。
カズコさんの意向で、スタッフの結婚式が終わるまで、カズコさんの病気のことは伝えないで欲しいと言われていたこと。
僕以外の御見舞は遠慮したいと言われていたこと。
そして、今現在とても厳しい病状であること。
すでに意志の疎通も難しいこと。
みんな、神妙な顔で言葉が出てこない様子だった。
それからまもなくのことだった。
旦那さんから今、息をひきとったと連絡があった。
僕はすぐに病院に向かった。
そして、自宅に移送される前のカズコさんに少しだけ会うことができた。
彼女はとても安らかな顔をしていた。
その日の夜、僕は何も考えられなかった。
月夜に浮かんだ流れる雲をただただ眺めていた。
翌朝目が冷めた時も、僕は現実を現実だと受け止めることができなかった。
混乱して、涙が溢れて、抑えることができなかった。
通夜、葬儀とスタッフ全員で出席した。
葬儀が終わっても、スタッフはなかなかその場を立ち去ろうとしなかった。
僕は、悲しすぎて、こう思った。
『心が凍る』ってこういうことなんだと。
悲しすぎて心が凍ってしまう。
そんな感覚だった。
起業して、苦しいこと、辛いこと、悲しいことが山ほどあった。
だけれども、今でもそう思う。
このことが後にも先にも一番辛いことだった。
一緒に過ごしてきた、一緒に戦ってきた仲間を失うということが、これほどにまで辛いとは思わなかった。
今でも忘れはしない。
それは、秋の彼岸の出来事だった。