スタッフを雇う [起業話#11]

順調に、また途切れることなく仕事をいただくようになり、初めての仕事を受けて数ヶ月後には海に入る時間さえ圧迫されるようになった。

海に入ってサーフィンをすれば、当然その他の時間を犠牲にする必要があり、文字通り、寝る間もないほど忙しくなった。

月々の売上もある程度コンスタントにあったため、僕は僕がやらなくてもいい仕事をお願いできるスタッフを雇うことにした。

だが、後から考えると、この考えは「僕にとっては」大きな間違いだった。

「人を雇う」ということは、『僕にとっては』大きな間違いだったのだ。

それが何故かは、いつの日かまた改めて書こうと思うが、簡単に言うと、人を雇う、つまり人をマネージメントできる人間とできない人間がこの世にはいる。

後者の人を雇う(マネージメント)できない人間は人を雇ってはいけないのだ。

それにも関わらず、人をマネージメントする立場になると、自分もスタッフも不幸になってしまう。それを僕は自分の経験から大変痛い思いをして学んだ。

どうしても人が必要な時は、並ならぬ努力をして、勉強をしてマネージメント力を鍛えるか、すでにそれができる人間に任せた方がいい。

ただ、その場合、その分の人件費などが当然かかってくることも考えておかねばならない。

 

さて、単純に時間がほしいから、人を雇おうと考えた僕は、また単純にその頃知り合ったばかりの友人(仮名:ヤスオ)に声を掛けた。

(そして、これがさらに大大大間違いだった。何故なのかはまたいつかの機会に。)

ヤスオは迷っているようだったが、当時彼はフリーターで2つのバイトを掛け持ちしていた。

僕が提示した時給は、その2つのバイトよりも高額だった。

パソコンはインターネットを見る程度ということだったため、制作に関してはある程度時間が必要だと思ったが、書類づくりやその他の簡単な作業をお願いできるだけで、当時の僕は助かる状態だった。

返事をもらうまでしばらく時間がかかったが、最終的にヤスオは僕の仕事を手伝ってくれることになった。

ヤスオの家は僕の事務所から来るまで30分以上と遠かったため、深夜のバイトもしていることから、こちらの仕事を手伝ってもらうのは平日14時から17時でお願いした。

しかし、彼は最初から遅刻グセがあった。

遅刻どころか、しょっぱなから無断欠勤があったのだ。

だが、僕も甘かった。

友人だからというのもあり、さらにこちらから声をかけた引け目もあり、それらに関しては注意することもなく、「次から頼むよ」といった具合に黙認したのだ。

そんなことがあったものの、実際、人柄は良く、仕事に関してや初めてのスキルを習得する一生懸命さもあり、僕のことをとても助けてくれた。

だから、僕はそれほどまでに問題にはしなかったのだ。

 

そんなこんなで、僕の起業ライフはそれまでのひとりの歩みから、ヤスオというスタッフと共に歩むスタイルへと変わった。

個人事業として屋号を構え、仕事をもらえるようになり、事務所を構え、スタッフを雇った。

これらのことを「やろうと思ってもなかなかできないよ。」と多くの人に言われた。だが、着々とそれらが進んで行くことに、僕はちょっとした自信を持つようになっていった。


スタッフを雇う [起業話#11]スタッフを雇う
[起業話#11]

参入タイミングというもの[起業話#10]

僕は流れで個人事業を起こし、営業するまでもなく、お仕事をいただき、海と仕事の両立をするために事務所を借り、それはそれは順調だった。

前にも書いたが、それは、僕が優秀だったからとか、仕事ができるということはまったくなく、周りの人や仕事を紹介してくれた人、若手をサポートしようという気概のある方々のおかげ以外の何物でもなかった。

また、さらに重要だったのは、右肩上がりの業種だったということだ。

起業やお店がホームページを持つことが当たり前になりつつあった時代。

地方には東京の流れが1、2年遅れてやってくることから、僕の地元では、ちょうどその波が来ている時だった。

当時、調べたときにはホームページの制作をするとうたっていたのは地元の印刷業者や、映像制作の会社などで、その会社も殆どは外注に出していた。

その外注に出す先で、本当に制作をしてる会社というのが、本当に数えるほどだったのだ。

そのような状況の中、僕は東京で、しかも航空会社のWEB事業という一応WEB業界の最先端を見てきていたと思う。

だからこそ、提案内容や、アドバイスはとても受けた。

今では、個人から法人までWEB制作を請け負う会社はたくさん存在する。

だから、今の時点で参入するとなると競争相手も多く、価格競争も生まれ、なかなか大変だっただろう。

だが、僕が始めた頃は、ほとんど言い値で仕事が取れた。

むしろ、個人でやっていた僕は安い!と感謝されるほどだったのだ。

狙った訳ではなかったが、参入タイミングがばっちりヒットしたのだ。

もし、あなたが今起業を考えているのであれば、その事業内容の参入タイミングが重要になってくる。

これから伸びるであろう新しい業種だったとしても、早すぎれば世間は見向きしてくれないため、最初から仕事がとれずにつまずいてしまう可能性がある。

逆に長年存在する成熟業種であれば、それなりのビジネス戦略が必要になってくる。

例えば、税理士として起業を考えているのであれば、税理士は長年存在する業種だ。

すでに多くの起業はお抱えの税理士法人と契約をしているだろうし、新規顧客をゲットするとなると新しく起業や独立する人を狙うしかなくなってくる。

ただし、それだけでも顧客を増やせないとなると、いま存在する企業が、現在契約している税理士を振り切ってまでこちらを向いてくれる何かが必要になってくる。

それを、どう伝えるか、どう表現するかということまで重要になってくる。

起業するときには、今、自分の業種の成熟度がどの程度で、社会からの要望度がどの程度化を把握し、それらの条件を踏まえて独自の戦略が必要になってくる。

僕は、そんなことも知らずにのん気にやっていたなとつくづく思う。

自分の業種の参入タイミングを客観的に見つめ、確実に詰められる戦略を立てることは倒産しないための必要不可欠条件なのだ。


参入タイミングというもの[起業話#10]参入タイミングというもの
[起業話#10]

事務所を借りる[起業話#9]

初めての仕事を納品し、その後も立て続けに依頼をいただき、精力的に活動を始めていたが、その頃はまだ空いた時間はサーフィンをするために真面目に海に通っていた。

実家ぐらしの僕は、屋根裏部屋にデスクトップを置き、昼夜制作に勤しんで来たが、サーフポイントとなる海岸までは車で30分ほどかかった。

そのため、天気予報とにらめっこしたり、友人からの情報でいい波が来ていると分かると、ソワソワしっぱなしだった。

海に入りたくても、やらなければならない仕事があるときには、それをこなしてから海へ向かい、もうその頃には、波が落ちてきたりしている事が多く、ガッカリしたり、朝一で海に向かい、普通の人が働く時間に実家に戻ったりしている内にどうしてもその移動時間がもったいなくてしょうがなくなってしまった。

いい波が来ていれば直ぐに海に入りたい。

でも仕事もきっちりこなしたい。

その葛藤の末、僕が選んだのは、海の近くに事務所を借りるということだった。

しかも、海上がりにシャワーが浴びられるように風呂付であることが必須だったので、アパートの一室を借りることにした。

当然、家賃というものがかかるが、その頃には常に3、4本の仕事を抱えている状態で、売上は貯まる一方になっていた。

だから、多少コストを掛けても十分な利益が残る状態だったのだ。

ちょっと前までは、お金がなくなる不安に追われかけていたが、その頃にはもう余裕をもって敷金礼金を払って事務所の手続きができるまでになっていた。

しかも地方の海辺の町は家賃がとても安かった。

1LDKで駐車所までついて、確か4万円代だったと思う。

それまでは寝る場所も仕事の場所も同じ建物内だったため、メリハリがつきにくかったが、寝食をする場所と仕事場をある程度の距離で隔てることによって、気持ちのON・OFFがきっちりつくようになった。

こうして新しく「仕事場」を持ったことによって、一段と気持ちが高まったことを覚えている。

それは、自分自身がちょっと誇らしい気持ちだった。


事務所を借りる[起業話#9]事務所を借りる
[起業話#9]

パソコンひとつ身ひとつ[起業話#8]

業種によって起業の重みは違ってくる。

僕の場合は、WEB制作という業種だったため、ある意味パソコンひとつで起業が可能だった。

厳密に言うと、いい仕事をするとなると、カメラやプリンターなども必要だが、パソコンひとつでも仕事ができると言えばできる。

だが、例えばお菓子を作る会社だったり、建築業、福祉事業で起業するとなると、建物、スタッフ、機材、材料など、とてつもなく多くの要素が必要となる。

そうなると、当然初期投資に必要な資金は膨大になる。

僕の周りにも介護事業や食品製造業などで起業した友人がいるが、本当に尊敬する。

最初は1千万円など小さく借り入れをし、徐々に実績を作って、数年で数億の借り入れをして、事業を大きく育てていくその背中は同世代とは思えないほど逞しい。

もしあなたが今、起業することを考えているのであれば、その業種や事業内容によって、どの道となるのかを事前に知っておく必要がある。

僕の場合は、

・借り入れはしない

・可能な限りシンプルで身軽な体制

=パソコン一台、人も雇わない、オフィスもあってもなくてもいい

・小さなリスクと労力で最大のレバレッジを得る

というのが、ポリシーだ。

しかし、これは、僕の業態だからこそ可能であり、地域に根を張り、人との繋がりを大切にして、信頼を徐々に勝ち取っていくべき業態の場合は不適切になることが多い。

だからこそ、今あなたが起業を考えていて、様々な情報収集をしているのであれば、あなたの事業を成功に導く起業のための情報を集める必要がある。

なんでも起業関係の情報をすべて適応させてしまうと、とんでもない方向に言ってしまうことがあるから注意が必要だ。

 

あなたの事業を成功に導く情報は、どうやって集めるか。

それは、同業者の同じ起業家に聞くのが一番だ。

2代目、3代目でもいいが、できれば創業者がよい。

創業者ならではの悩みや起きうる将来をよく知っているからだ。

「同業だと冷たくあしらわれて、情報なんてもらえない」という場合もあるが、そんな人は、まだまだ駆け出しの若手に手ほどきをできる器のちっさい人間なので、そんな人間には、寄り添わなくてOK。

本当に懐の深い、人としても尊敬してしまう人というのは、同じ業種で頑張ろうという若手がいたら、とってもかわいがってくれるものだ。

実際、僕も同業の先輩にどれだけ助けてもらったことか。

そういった懐の深い人というのは、やはり実直に成功を重ねている。

もちろん失敗もその分しているが、それでもたゆまぬ努力を積み重ねているので、結果的に成功を重ねることになっているのだ。

 

さて、僕と同じくパソコンひとつで起業可能な業種で身軽に創業したいと考えているのであれば、創業時にたくさんの資金が必要となる事業に比べ、リスクは少なく、波に乗るチャンスはたしかに多いと思う。

だけど、そんな状況なのに起業をしようかな…、どうしようかな…、と躊躇をして、結果的に3年、5年、10年経ってしまう人も少なくない。

僕は起業はベストだとは思わない。

それをベストにできるかどうかは、当の本人次第だ。

覚悟があるとか、想いがあるとか、そんなものも関係ないと思う。

(実際、僕はそんなものなくいつのまにか起業していたからだ。)

恐らく、起業のスタートに必要なのは、興味を持ったことをとことん突き詰めてと何事も楽しんでしまう性分と、ワクワクすることぐらいじゃないだろうか。

そして、無駄な恐怖心を捨てることだ。

僕は起業しようと思ってしていないから恐怖心なんてなかったが、「よし!会社を辞めて、起業しよう!(会社辞めたら明日から収入0だ)」と息巻いていたら、恐怖心があったかもしれない。

だけど、それが全ての判断を狂わせる気がする。

未来をどれだけ考えても、結局未来なんて誰にも分からないのだから。

あなたが起業を考えているのなら、是非楽しんで欲しいと思う。


パソコンひとつ身ひとつ[起業話#8]パソコンひとつ身ひとつ
[起業話#8]

会社名を考える[起業話#7]

個人事業主の届けを出す時に必須となってくるのが会社名だ。

これを考えるのはワクワクもするし、大きな悩みでもある。

「法人化と覚悟」の記事にも書いたように、僕は個人事業を1年半、その後、法人化し10年を経て、新しくまた別法人を立ち上げている。

法人化と覚悟|(第2話)自分で株式会社を作ってみた

個人事業で屋号を決め、法人化の際はその屋号に前株とした。

そして、最近立ち上げた新しい法人は全く異なる名前の後株にした。

初めて社名(屋号)を決める際は、あれこれ考えすぎたと感じている。

かっこいい名前にしようとして、いろいろと考えはしたのだが、その名前はとてつもなく聞き取りにくく、僕は10年以上もの間、何度も電話口で社名を繰り返す羽目になった。

だから、最近立ち上げた法人の名前は、音がはっきりしていて聞き取りやすい社名にした。

また後株にしたのは、尊敬するとある企業の社長から、名前が主体なのに先に「株式会社」が付くのはなんだか株式会社であることの方が誇張されているように思う。という意見を聞き、なるほどなと思ったので、主体となる社名を前に「株式会社」を後に付けた。

最初の社名は、2文字と短い名前だったので、覚えてもらいやすかったが、なんせ初めて社名を聞いた人が聞き取ってくれる確率が本当に低かった。

だからこそ、これから社名を決める人にできるアドバイスと言えば、聞き取ってもらいやすく、覚えてもらいやすい社名を心がけるのが一番だと思う。

つまりは長すぎてもダメということだが、凝りすぎるとハズすという傾向も僕は知っている。

確かに、自分が立ち上げる会社は思い入れもあるだろうし、これからの未来に掛ける情熱も表現したいと願い、ついつい思いばかりが先行して、カッコイイものを求めがちだが、肩の力を抜いて8割ぐらいの熱い想いで、親しみやすいものが一番ベストだったりするというのが僕の暗黙知だ。

また、字画などをそっちの世界の「先生」と呼ばれる人に高額な料金で見てもらい、社名そのものや漢字、アルファベット、ひらがなのどれがいいかと決めている人もいるが、好きな人はそうすればいいと思うが、僕ならしない。というか、実際にしなかった。

その人の勝手だし、僕のお金ではないので別に否定はしないが、そこに頼り出しておかしくなってしまったり、停滞している経営者や企業をたくさん見てきたからだ。

個人一人でそういったものに関わる分には何の害もないが、顧客や取引先、そして何と言っても社員という大事な関わりを持っている経営者は、自分という軸を持っていることが一番重要だと思っている。

「名は体を表す」のことわざ通り、カッコつければ、カッコつけた感じになり、己の勇んだ感じや、虚勢というのは絶対に滲みでてしまう。

だから僕は、最近立ち上げた新しい法人の名前は聞き取りやすければOKぐらいの気持ちで、8割ぐらいの熱い想いで考えた。

実際、社名に食いつかれることもなく、かといって電話口で聞き返されることもないし、一度言ったら忘れられることもないので結構気に入っている。

だけど、ちゃんと僕の理念と企業コンセプトは注入してある。

一度付けた社名に後から「失敗したー!」と思っても、社名は登記上変えることもできるのだし、是非肩の力を抜いて8割ぐらいの熱い想いで考えることをオススメしたい。


会社名を考える[起業話#7]会社名を考える
[起業話#7]

個人事業主の手続き[起業話#6]

初めての仕事を受けると同時に、僕は「屋号」というものが必要なことに気がついた。

言うなれば、会社名だ。

適当に会社名を作って、名刺を作ればいいのかと思っていたが、ちゃんと各行政機関に申請しなければならないことを行政書士の友人に教えられて知った。

その頃の僕は法人化ということは全く頭になく、そのメリットも知らず、それ以前に当時法人化しても全くメリットがなかったので、個人事業主としての手続きとなった。

個人事業主としての手続きは、その友人にお友達価格で頼んだ。おそらく、税務署、市、県への届出等だろうと思う。

そうして、晴れて個人事業主としての活動がスタートした。

公に個人事業主登録をすることにより「自分の会社」を思いがけず手に入れ、なんだか変な気持ちだったことを覚えている。

一応、そこからは社長だ。

自分が社長と呼ばれる立ち位置になることなど、想像もしていなかったので本当に変な気持ちだった。

名刺を作るときも肩書きは「代表」だった。

取引銀行や、売り込みに来る営業マンからはすぐに「社長さん」などと呼ばれるようになった。

それまでは、「社長」と呼ばれる人と関わることもなかったし、社長は偉い人、すごい人というイメージだったが、書類手続きをすれば、簡単になれるものなのだと実感した。

裏を返せば、世の中の社長はその程度の社長がいっぱいいると言うことだ。

事実、僕も紙っぺら一枚の薄っぺらい「社長」にその時なったのだ。

確かに、悪い気はしなかった。

突然、自分がちょっと格上の人間になったような錯覚になる。

これが、「社長さん」になることの怖いところでもある。

昨日までタダの人が、いきなり肩書きがついて、勘違い野郎がポンポン生まれてもおかしくないと今でも思う。

実際、僕もある時まで勘違いをしていたと思う。

いや、確実にしていた。

とにかく僕の意識は、この個人事業主の登録をした時から確かに変わったと思う。

立場が人を成長させるとはよく言ったものだと思う。

立場は、いい方にも、悪い方にも人を変える。

今、僕は思う。

「謙虚さ」これが起業家には、本当に必要だと思う。

自分はすごい、偉い、特別だなんて勘違いを起こした時から人はおかしくなる。

人だけでなく、事業も、組織もおかしくなる。

ふと思い起こして、つらつら書いてみたが、基本は本当にここだなと今改めて思った。


個人事業主の手続き[起業話#6]
個人事業主の手続き
[起業話#6]

次へ繋がる仕事[起業話#5]

無事成約し、期待とプレッシャーの嵐を受ける[起業話#4] で精魂込めて達成した僕の初仕事。

とことん突き詰めて、自分を追い詰めて達成した仕事の報酬をもらった時は、とても誇りに感じたし、嬉しかった。

待ちに待った報酬だったが、実際には喜んでもらえたことの方が何倍にも嬉しかった。

お役に立ててよかったと心から思った。

そして、仕事をさせてもらったレストランオーナーがとっても満足してくれたので、彼は様々な友人や知人に自分のホームページを自慢してくれた。

結果、「実はうちもホームページが欲しい」「ホームページのリニューアルを考えている」といった個人事業主や中小企業の社長から、連鎖的に依頼をいただくことになったのだ。

僕は、この時から今現在まで約12年となるが、未だに「営業」というものをしたことがない。

要は、自分の事業を他人に売り込む作業をしたことが全くないのだ。

これは、仕事を与えてくれたクライアントやラジオ局の部長といった、ご縁あった皆々様のおかげだと本当に心から思う。

頂いた仕事を精魂込めて、真摯に向き合う。

絶対に手を抜かない。

ズルをしない。

期待以上のことをする。

クライアントが納得いっていない様子なら、とことん向き合う。

自分自身が納得いくまで突き詰める。

これは、僕が初めて仕事を受けてから、頑なに守ってきたことで、仕事をする上なら当たり前のことでもあると思う。

だが、この当たり前のことを確実に守った結果、営業をしなくても連鎖的にお仕事をいただくことに繋がったのだとも思う。

当時僕は身内にこう言われていた。

「依頼された仕事は絶対に断るな。すべて受けろ。駆け出しのお前に仕事を選ぶ権利なんて無い。」

だからこそ、ちょっと気が引けた仕事も勉強させて頂くつもりで全部受けた。

当初はホームページの制作のみの予定だったが、紙面デザイン、写真撮影、プロダクトデザインなど、ネットから印刷物、商品まで幅広く受けていったのだった。

いい仕事をすれば、新しい仕事が近づいてくる。

それは、まぎれもなく方程式だった。


次へ繋がる仕事[起業話#5]次へ繋がる仕事
[起業話#5]

無事成約し、期待とプレッシャーの嵐を受ける[起業話#4]

初めて仕事を受ける[起業話#3] で提示した見積もりを快諾いただき、いよいよ製作工程となった。

はじめに、どんな内容を盛り込みたいか、デザインの希望はあるか、素材写真はあるか、なければ撮るか?など様々な打ち合わせをした。

ちょうどレストランの建物も建設中だったので、設計施工担当の方にコンセプトを聞いた。

素材写真が全くなかったため、トップはFlashアニメーションで作ることになった。

また、予算がなかったため、素材となる料理写真は僕が撮った。

幸いにして(?)写真センスがあったようで、撮る写真はどれも喜ばれた。

ディレクション、コーディング、撮影、営業、一人で何役もこなした。

打ち合わせを終え、仕事場(当時は実家の屋根裏)に戻ると、そこからは何時間も部屋に篭って、食事、風呂、トイレ以外はずっとパソコンに向き合う生活となった。

ディレクション畑の僕にとって、コーディング、まして大学時代に少しかじったFlash制作は、大大大ハードル。

当時のネット上にはまだまだ情報がWEB制作に関する情報は少なったため、手探り状態で、格闘。

ニートサーファーで、寝たいだけ寝て、遊びたい時に遊んでの、自堕落な生活から一変、かつての猛烈社員だった頃、いやそれ以上の生活となった。

この初仕事を受けたことを機に、仕事のためなら、睡眠時間2、3時間、徹夜なんて当たり前になった。

とにかく、約束の期日までに最高のものを納品しなければ。

その思いでいっぱいだった。

不安とプレッシャーはあったが、楽しかった。

思うように作れない時はゲンナリしたが、絶対に諦めずに手に入った資料を調べ尽くして、作りたいと思ったものを作りあげていった。

とにかく燃えていたのだ。

そうして、なんとか理想通りのWEBを作り上げ、クライアントに納品。

結果は花丸だった。

とても喜んでもらえた。

そして、クライアントは色んな人に自慢したらしい。

そしてこれが、僕のターニングポイントだった。


無事成約し、期待とプレッシャーの嵐を受ける[起業話#4]無事成約し、期待とプレッシャーの嵐を受ける
[起業話#4]

初めて仕事を受ける[起業話#3]

【記事要約】

起業したら、本業の仕事だけではなく、それ以外の様々な業務を自分でする必要も出てきます。僕が直面したのはまず「見積り」の作成。初めての見積りづくりにまつわる話をご紹介します。

 

ラジオ局の部長おじさんのお陰で、僕は人生初、自分で仕事を直に受けることになった。

詳しくは、おさらい>前回のお話「いわゆるニート[起業話#2]

 

 

1. 初めての見積り

初めての取引先となるレストランを始めるというオーナーさんのところに一緒に連れて行ってもらって紹介してもらった。

そのレストランオーナーは、パワーとユーモアに溢れるアーティストタイプの人で、この初めての取引先となった、レストランオーナーとはその後も長くお付き合いさせてもらうこととなる。

 

ディレクションは慣れた仕事だ。

まずは世間話から始め、その後僕の経歴をラフに話し、自然な流れで5W1Hを元にヒアリングをさせてもらった。

大体、どのようなニーズがあって、どのような夢があるのかを把握し、提案のため持ち帰らせてもらうことに。

 

若干高揚した気分で自宅に戻り、そこで、はたと気がついた。

提案書とは別に「見積もり」というものが必要なことに。

会社努めの頃は、上司が算出した工数を元に、営業担当が見積もりをしていた(と思われる)。

しかし、その業務に僕はノータッチで、今まで見積書と言うものを作ったことも見たこともない。

僕は困った。

見積書のフォーマットは、ネットでいくらでも落ちていたので、それを元に作ればよかったのだが、肝心の価格の出し方が皆目検討つかなかったのだ。

そこで、僕はだいたいの勘で20万円と見積書に記載した。

WEBサイトの制作費用はまさにピンきり。

3万円と打ち出している会社もあれば、数百万、時には数千万規模のWEBサイト制作もある。

だが、今回は簡単なWEB制作だったので、おそらく20万円程度だろうと考え、そう記したのだった。

しかし、後々振り返ってみると、これが大誤算で、起業してからある程度経験を積んだ今、計算すると、最低でも50万は値段を付けるべきものだった(倍以上違う!)。

まあ、初めていただいた仕事だったし、胸を貸して頂いて、報酬以上の仕事をしたということにしておこう。

 

2. 要点を押さえれば怖くない!見積り雛形

起業して初めて見積りを作り、それをクライアントに出すときは誰でも緊張する。

僕もそうだった。

だけど、見積書も要点を抑えれば怖くない。

僕は制作の仕事を3年前に卒業し、現在は手を動かす仕事は一切していないが、それまでは下記フォーマットの見積もりで困ることはなかった。

概算見積書雛形(フォーマットはWEB制作の場合のもの)

<EXCEL版>「概算見積書雛形

<PDF版>「概算見積書雛形見積入力例

上記フォーマットに、足りないものは追加し、いらないものは削除すれば、十分に使用可能なはず。

僕はこれを、行政や一般企業、さらには上場企業相手にも使ってきたので何ら問題は無いと思う。

よく「こうあるべきだ!」なんて情報があるけれども、正直そんな細かいところに時間をかけてキチキチに動くよりは、生産的な仕事に時間をかけて成果を上げるほうが、ビジネスマンは大事だと僕は思う。

要はクライアントに何をどのくらいやると幾らかかるのかを分かりやすく伝えるためのツールなのだ。

 

3. 概算見積書と見積書の違い

さらに細かく言えば、暫定見積書と正式な見積書の2つが必要といったことが、業務マニュアル的な情報として掲載されていたりするが、僕の場合は、概算見積を1回提示し、追加があれば追加です。と都度追加見積もりを出すやり方を取ってきた。

概算見積書:ヒアリングを通してざっくりとした金額把握のための見積もり

(正式)見積書:スケジュールや細かい仕様調整を進めた上での最終決定価格の見積もり

 

ちなみにやらなくてよい項目が発生したりして、概算見積より低くなる可能性がある場合は、別の提案をして、見積価格より売上が低くならないようにした。

じゃないと、良いものを作ろうとすると、何だかんだ、結局見積もり以上の手間が発生しているもの。

だから、損をしないように、最初に提示した金額はしっかり頂くようにした。

だから、見積金額より請求金額が下がるということは、今まで一度もなかった。

馬鹿真面目に「この項目なくなったのでお値引きしておきますね。」よりも、「無くなった分、ここをさらに良くしするために注力しますね。」の方が、お互いにハッピーははずだ。

 

4. 見積書のキモ

見積書は基本的に下記項目を押さえておけば問題ない。

①見積書の宛名は法人の場合もちろん「御中」を付けて記載。個人の場合は「様」を付ける

②見積もり有効期間は多くの場合1ヶ月だが、自由に設定OK。税率の変更が決まっている時期などは要注意。

③会社の角印を忘れずに押す。

④見積もり項目は専門用語を使わず、クライアントにも分かりやすい言葉で記載。(その方が見積もりが通りやすい。信用にも繋がる。)

⑤備考には必ず「仕様変更及び追加案件に関してはその都度別途お見積もりさせていただきます。」と記載。ある程度の変更はやむなくとしても、さすがにこれは…という時にクライアントに打診し易い。

⑥承認者と担当者のハンコを忘れずに押す。

⑦Excelの計算式を信用しすぎない。

たまにExcelの計算式が狂っている場合がある。Excelを信用しすぎて、そのまま提出すると損をすることもあるし、見積書はいわゆる「信書」にも含まれるため、こちらの信用にも傷がつく。金額は念入りに確認すること。特に税率変更前のファイルをコピペして使用した場合など、税率が旧税率で誤ってしまうことも。(僕は一度これをして、損をした。)

 

5. 見積りを出すときは、堂々とした自分を演じよう

初めての仕事で20万円の見積もりを出す時は正直ドキドキだった。

今では「安すぎだろ!」とツッコミどころ満載だが、当時は高すぎると言われないか心配でならなかったのだ。

しかし、こちらの心配をよそに、20万円の見積もりと提案内容にご納得いただけ、無事成約となった。

その場で、OKと言われた時は、なんだか本当に嬉しかった。

社会人になってすでに何年か経っていたが、初めて自分の足で社会に立っているような気分になった。

本当に、この時僕の提案と見積もりを受け入れてくれたレストランオーナーと紹介してくれた部長おじさんには、感謝しかない。

このレストランのホームページを作る機会がなければ、その後の僕の起業人生はきっとスタートしていなかっただろう。

その後、何度も見積りを出すことがあったが、時を重ねて勉強したことは、「見積りは堂々と出せ」ということだった。

最初の僕のように、「高いって思われないかな」「断られたらどうしよう」というこちらのビクビクは相手に伝わるもので、いい仕事をするスキルを持っていても、相手に不安を与えてしまうものなのだ。

だから、見積りは「僕はプロフェッショナルです。あなたにとって最高の仕事をします。その報酬として、この金額をお願いします。」という気持ちで胸を張って堂々と出した方がいい。

お金をもらうことは悪ではない。

お金はルールだ。

約束した仕事を約束通り納めるというルールなのだ。

だから、自分は最高の仕事ができると自負しているなら、なおさら見積りは堂々と提示しよう。


初めて仕事を受ける[起業話#3]初めて仕事を受ける
[起業話#3]

いわゆるニート[起業話#2]

会社を辞めた僕はいわゆるニートになった。

毎日海へ行き、サーフィン三昧の日々だった。

しばらくぶりに戻った故郷には、友達と呼べる人間は全くいない状態だったが、このサーフィン三昧の生活のお陰で、まずは海に友達ができた。

朝起きて、波チェックをし、いい波の時は一日中ひたすらサーフィンをしたり、写真を撮ったりしていた。

そして、夜は新しくできた友達と飲みに行き、楽しい時間を過ごす。

なんて自由な生活!

この時の生活は今思い出しても、いい思い出だ。

 

しかし、一般的な常識社会から見れば、超ダメ人間といえる生活だ。

失業保険が切れ、蓄えも底が見えてきた頃、さすがにちょっと焦りが出てくる。

大抵のことはおおらかに見てくれる両親だったが「仕事探せ」オーラがビンビン出ていた。

しかし、自由きままな生活の魅力を存分に味わったことにより、再びビジネスマンの生活に戻ることが想像できなくなっていた。さらに「就職するといい波の日に自由にサーフィンができない。」という、とんでもない理由もその当時の僕の中にはとてつもなく大きかった。

どうせ就職するなら、前職と同じくらいの収入は欲しかったが、それを見込める職が地元にはなかったということもある。

一度ハローワークの面談で希望月収を聞かれ、「40万」と答えると、面談担当者は絶句し、彼の顔には「オマエ馬鹿か?」と書いてあった。

 

結局、僕が選んだのはラジオ局の夕方のバイトだった。

・日中はサーフィンをしたい。

・長時間労働はいや

・気楽で責任のない仕事をしたい

というなんともはや、経営者となった今では、信じられない理由だった。

 

しかし、このラジオ局でのバイトが僕の人生にとって大きなターニングポイントを生む。

起業人生を決定づける大きな出会いがあったのだ。

もし、ここでその出会いをしていなければ、僕は企業せずにいずれ諦めてどこかに就職し、雇用者としての人生を続けていただろう。

出会いというものは、本当に不思議だ。

それが、あるかないかで大きく変わる出会いというのが世の中にはあるのだ。

もちろん、その時はそれには全く気がつかない。

後から思い起こしてみて「もしあの時あの人に出会っていなかったら…。」と考えると、ちょっとゾッとするような、その人の存在に心から感謝してしまう出会いというのが世の中にはあるのだ。

 

僕の人生のターニングポイントとなったドラマティックな出会いの相手は、バイト先ラジオ局の部長さんだった。

「ドラマティックな出会い」というドラマティックな言葉が全く似合わないおじさんだが。

僕はまぐれで合格し、県内一の進学校に通っていたのだが、さらに前職が誰もが知る航空会社のIT関連という、傍から見ると華々しい経歴を持つ奴が何故かラジオ局の夕方のバイトをしにやってきたという、物珍しさを聞きつけ、その部長はある日、僕のところへ興味津津でやってきたのだ。

IT関係のことを色々聞かれたが、素人以上のことを訪ねてくるので、よくよく聞くと、副業でサーバ管理をやっているという。

会社的に副業やってて大丈夫なのかと心のなかで突っ込みながらも、ちょっと飛んだその面白い部長おじさんとは気が合い、それからというもの、よく飲みに連れて行ってもらうようになった。

そしてある日、その部長おじさんが、僕にある依頼をしてきたのだ。

それは、知り合いがレストランをやり始めるから、そのホームページを作って欲しいというものだった。

僕は迷った。

確かにWEB関係の仕事をしてきたが、僕がやってきたのは開発者との調整をするディレクションで、実際にコーディング等の制作業務をしてきたわけじゃなかったからだ。

制作に関しての知識は全くないわけではなかったが、僕ひとりでそれを作りきれるか、悩ましかったのだ。

 

だが、僕は最終的にその仕事を受けることを決めた。

なんとなく、僕の本能のようなものが、やるべきだと言っていたのかもしれない。

そしてこれが、僕の起業人生初の仕事となるのだった。


いわゆるニート[起業話#2]いわゆるニート
[起業話#2]