シリコンバレー弾丸ツアー(サンフランシスコ旅5日目)

この時期、サンフランシスコは雨季だ。
しかし、ここ数年は雨季に雨が少なかったようで、乾季の水不足が深刻だったらしい。
だが、今年は僕がロスアンゼルスに到着した日から、ずっと嵐が続いている。
そのため、大雨に慣れていないサンフランシスコでは、交通事故が多発し、場所によっては浸水、土砂崩れが起きて、ダムも決壊一歩手前らしい。

昼頃友人家族が迎えに来てくれた。
そして、ランチは一緒にメキシカンを堪能する。
いつもならビールかマルガリータを飲みたいところだが、明朝まで飲んでいた飲み疲れが響いている。
アップルジュールに留めることにした。

ランチの後は、シリコンバレーの見どころを案内してくれるという。
友人はここ、シリコンバレーでスタートアップ起業のCEOを勤めている。
ただでさえ忙しい彼にとって、休みの日はとても貴重なはず。
そんな中、ノコノコやってきた僕のために時間を割いてもらうのは恐縮だったが、せっかくなので甘えることにした。

この日はPresident Dayという祝日。
しかも、大雨。
そのため、車でさーっと回ることにした。
まずは、言わずと知れたGoogle。

普段は、無人運転カーがひっきりなしに走っているらしい(この日は祝日のため、残念ながら遭遇できず)。
辺り一帯何ブロックにも別れて、Googleは広大な土地を占領していた。
スケールが大きい。大きすぎる。
規模の大きさに唖然とした。
所々に置いてあるGoogleカラーの自転車は、敷地内を移動するために自由に使っていいらしい。

あり得ない広さのGoogleエリアを出ると、ひとまず奥さんと子どもたちをマンションに送り届けた。
その後、再び友人と一緒に車を走らせる。

NASA、Apple本社、Facebook本社。
What’s UP誕生の店であり、スタートアップの若者たちの聖地。
Red Rock Cafeで眠気覚ましのコーヒーも買った。
さらに友人の会社が入っているインキュベーションセンターのPlug & Playも尋ねた。

すべてのスケールが大きすぎて、驚きしかなかった。
日本にこれだけのスケールのIT会社はおそらくひとつもないだろう。
しかし、アメリカにはゴロゴロとビッグなIT企業が存在している。
すごいという言葉しかなかった。

弾丸ツアーの後は夕方から、知り合いの日本人シェフのご自宅に遊びに行こうということだった。
再び友人家族をピックアップすると、日本人シェフの家近くにある高級住宅街へと友人は車を走らせた。
そして、スティーブ・ジョブズの家や、HPはここから始まったというガレージがある家、ラリー・ペイジの自宅を紹介してくれた。
何故知っているのか不思議だが、彼は本当に持っているIT業界の情報量が半端ない。

その後、日本人シェフの自宅にお邪魔する。
日本人シェフご夫婦は、初めての来訪者を明るく迎え入れてくれた。
彼らの子供は4人姉妹。友人の子供は2人姉弟。
合計6人の子どもたちがはしゃぐ中、大人たちの食事が始まる。

互いの自己紹介、出会いの話。
今後の夢。
シリコンバレーにいる日本人はパワーがあると本当につくづく感じた。
盛り上がる話を続けたい雰囲気だったが、友人は日本との会議が21時30分から分刻みで4件入っているそうで、今日は早めにお開きとなった。

遅い時間にCal Trainで時間をかけて帰るのは、面倒くさかったため、Uberで帰ることにした。
かなりの距離があるが、Uberはやはり安い。
アメリカに来たらUberを活用するべきだということを、つくづく学んだ。

久しぶりの再会@シリコンバレー(サンフランシスコ旅4日目)

今日は、夕方にシリコンバレーの友人ファミリーに会う約束がある。
しかし、思わぬハプニングと時差ボケ、移動の疲れがあるのか、早朝に起きたら体がダルい。
旅の前半に体調を壊すのは面白くないと考え、昼過ぎまで部屋でゆっくり過ごすことにした。
ひとまず二度寝。
そして、再び起きると時刻は10時になっていた。
ベッドの上でスマホ片手にゴロゴロ。
めったにできない贅沢な時間に、気持ちがほぐれているのが分かる。
思う存分ゴロゴロした後、のんびりアメリカのテレビ番組を眺めながら、身支度を整える。
何だかんだで部屋を出る頃には時計は15時を過ぎていた。

事前に調べたところ、友人宅に向かうためには、Cal trainという鉄道の16時15分サンフランシスコ発の列車に乗らなければならない。

列車に乗って向かうと友人にメッセージを送ったところ、ホテルから駅まではUberかLyftを使うといいと連絡が来た。
そうか。アメリカはUberが発達しているのだった。
以前東京で使ったことがある。
アプリを出して見ると、すごい。
さすがUber誕生の地だ。
そこら中にUberカーがいる。
一番安いPOOLと書かれたコースで行き先をCal trainに設定し、呼び出すと5分以内に来るという。
通りに出ると、アプリが示す通りのタイミングでトヨタのカムリが迎えに来た。

ドアを開けて乗り込むと、運転手はHelloとだけ言った。
口数が少なそうな若くてスキンヘッドのイケメン運転手の車内は綺麗に掃除され、匂いにも気を付けているのだろう。
嫌味のないよい香りが漂っている。
おまけにBGMもイケている。
しかし、プロフィール写真の笑顔とは打って変わって、愛想笑いのひとつもしないところが笑える。
社内で再度Uberアプリを見るとAndyさんとJaneさんが相乗りします。と出ている。
相乗り??
どういうことだろうか?
Uberって相乗りだったっけ?
運転手が確認しているiPhoneを見ると、途中経路に(1)、(2)と印が出ている。
しばらくすると(1)の地点で女性が乗り込んできた。
本当に相乗りらしい。
そして、(2)の地点で男性が乗り込んできた。
後で知ったことだが、一番安いPOOLというコースは行き先が似ているユーザが同じくPOOLで予約した場合、タイミングによって相乗りになるらしい。
少し、遠回りになったり、予定時刻より到着が遅れることがあるそうだが、値段は確かにとても安い。
結局、一番最初に乗り込んできた女性が先に降り、僕はCal trainの駅で2番めに降りた。
礼を言うと、運転手は最期まで愛想もなく、目も合わせずYou are Welcome.とボソッと言って、去っていった。

Cal Trainの駅には、十分早く到着した。
先ほどUberで駅に近づくに連れて、窓の外の景色は明らかに治安が悪い雰囲気になっていた。
どうやら駅周辺は余り安心できる地域ではないらしい。
周りを警戒しながら、券売機で券を買う。
初めて利用する列車の券売機。
とまどいながら、まず片道を選択。
僕が降りる、San Antonio駅はゾーン3のエリア内。
そのため、まずモニター内のゾーン3のボタンを押す。
そして、最期の画面がよくわからなかった。
1から8までの数字が並んでいる。
座席の位置指定だろうか?
よく分からなかったのでとりあえず3を押した。
料金は21ドル55セント。
ドル紙幣を入れると、無事に券が出てきた。
取り出してみると、同じ券が3枚ある。
もしかして最期の画面は枚数を指定する画面?
側にいた駅員さんに、このチケットで16時15分の列車に乗れるか聞くと、駅員は僕の手元を見て、なんで3枚あるんだ?と聞く。
間違えて3枚買った。というと、払い戻しはできない。今度から気をつけてくれと言って、2枚を持ってどこかに行ってしまった。
友人にその話をすると、券売機の前に来る人に2枚を安く売ればよかったのに。と言っていた。
たしかにそうだ。
しかし、駅員のおじさんが問答無用で持っていってしまったのだ。
損の分は勉強代ということだ。

Cal Trainは2階建ての大きな列車だった。
(後で知ったのだがこれは日本の企業が製造した車輌だった!)
座席の向き変更ができないタイプだ。
1両ごとに進行方向に対して座席が交互の向きになっている。
後ろ向きに乗ると酔う可能性がある。
僕は迷わず進行方向に向かって座る椅子を選んだ。
しかも、景色がよく見える2階の。
もうすぐ出発というころ、入り口で何やら男と駅員が言い合っている。
男は自分はスーパーバイザーだ!と言い張り、駅員はチケットを見せろと言い張っている。
どうやら、無銭乗車しようとした男を見つけた駅員が男を止めたところ、何故かスーパーバイザーだから、自分はタダで乗れると頭のおかしいことを言っているらしい。
応援の駅員がもう一人駆けつけ、男はどこかに連れて行かれてしまった。

列車は時間通りに出発した。
高架下のコンクリートには色とりどりの落書きが施されている。
おそらくこの地域の不良達が書き込んでいるのだろう。
ゴミもたくさん散乱し、気の悪さが滲み出ていた。
しばらく走ると空港からホテルに向かう時に初めて見た小高い山が再び見えてきた。
そして、電車が郊外に向かうに比例して、街の雰囲気も徐々に洗練されていった。
サンフランシスコの家はどの家もデザイン性が高く、住んでいるのが羨ましい家ばかりだ。
町並みも統一され、アメリカ人が住環境や自らが住む街への関心が高いことが伺える。

車窓からの景色を楽しみながら、1時間30分ほどで列車はSan Antonio駅に到着した。
友人は子どもたちと車で迎えに来てくれた。

友人宅には、4人のゲストが来ていた。
初めて会う4人だったが、アメリカで会う日本人同志は直ぐに仲良くなった。
友人の奥さんはその日の早朝、ハワイから帰ったばかりだというのに、腕をふるって料理を用意してくれていた。
中でも黒肉と呼ばれる牛肉が非常に美味しかった。


黒肉とは、特製の真っ黒なタレでマリネし、漬け込んだ牛肉の塊のこと。
マリネ用の黒いタレは秘伝のレシピで企業秘密だそうだ。
とても柔らかく、ジューシーで味もしっかりついている。
奥さんは、それをオーブンで焼き上げミディアム・レアの状態で切り分けてくれた。
ビールにワイン、日本酒と次々ボトルが空き、久しぶりに会った友人家族と近況報告やアメリカの話で大いに盛り上がった。

時刻はいつの間にか未明近く。
結局、3時30分まで飲み明かしてしまった。
ようやくたどり着いたサンフランシスコで友人たちと過ごした夜は、やはり格別だった。

珍道中続編(サンフランシスコ旅3日目)

時差ボケのせいか、夜中の3時に目が覚めた。
その後、布団の中でゴロゴロするものの、寝付けず現地のニュースを見る。
すると、昨日の嵐がトップニュースになっていた。
道路が川のようになり、そこを走っていたのだろう、車の天井に登り、レスキューを待つ人の姿がいくつもあった。
倒れた大木やその下敷きになった車や家、道路に大きく開いた穴に落ちる2台の車。
これだけ被害が発生したほど大変な嵐だったのだと、その時初めて認識した。
アナウンサーは、突然起きた、春の嵐として取り上げていた。
日本でいうお天気アナウンサーらしき人が解説をする。
そして、雨雲の動きを時系列で移動させながら、嫌なことを言う。
この嵐は、今日の11時まで警戒が必要で、その後、月曜日まで続くというのだ。
僕の便は11時発。
まさか、今日も飛行機は飛ばないのではないか…。
もしかして、当面サンフランシスコへは行けないのではないだろうか。
朝からため息しか出なかった。
運行状況を調べると今のところ予定通り運行にはなっていた。
しかし、とにかく空港へ行って状況を確認しよう。
今から二度寝する時間もないことだし、早めに空港に行くことにした。

身支度を整え、ロビーで会計を済ます。
丁度、空港行きのシャトルバスが出発する10分前だった。
たまたまのタイミングだったが、今後は事前にシャトルの出発時間を調べておいた方がよいということを学んだ。

朝から陽気な運転手が出迎えてくれる。
8割ほど席が埋まった状態で、時間通りに出発。
車内で始発の6時30分の便の運行状況を確認する。
「飛行中」どうやら、第1便は問題なく飛んだらしい。
少しの望みが見えてきた。
しかし、始発が飛んでも、その後が飛ばないことはよくあることだ。
まだ油断はできない。

シャトルは、何やら、アラートが鳴りっぱなしだが、運転手は気にせず走る。
一人目が降りるターミナルに着くと、ドアを確認している。
半ドアだったのだろうか。
それで走り続けるところが、アメリカらしい。
下車する人が、座席の前方に積んだ荷物のうち、3つが自分のものだと運転手に指を差して告げる。
しかし、運転手は2つ目を下ろしたところで、3つ目を忘れてしまったらしい。
これだよ。と教えると、haha!と笑っていた。

再びシャトルを走らせる運転手。
American Airlines!
僕が降りるターミナルだ。
バゲージは載せたか?と聞かれたので、僕は無いと言う(なんせ迷子だからね。)。
礼を言ってシャトルを降りた。

昨晩の欠航続きのせいか、荷物検査状は大いに混み合っていた。
スタッフのイライラが顕著に表れている。
アメリカの金属探知機は日本のようにくぐるだけではない。
筒状の機械に入り、両手を上げ、全身をスキャンされる。
問題なく通り抜けると、出たところで検査官がこれは誰のラップトップ(ノートPC)だ?と尋ねている。
僕のものだ。と答えると検査をするからこっちに来いという。
少し離れたところで、検査官はPCを機械に当て、ノートPCの縁を何か四角い紙のようなものでなぞっている。
何もやましいことはないので、検査官の様子を尻目に靴を履き、ジャケットを来て身支度を整える。
当然、OK!行っていいいよと言われた。
その機械は何だ?と尋ねると、ランダムに検査しているんだ。気にしないでくれと検査官は言った。

空腹を覚えたので、モッツァレラチーズとトマトバジルのパニーニを買い、売店でレモネードを買う。

すると、あなたもまだいたの?!と声を掛けられた。
みると、昨日カスタマーサポートで前に並んでいた女性だった。
もしかして、空港に泊まった?と聞くので、さすがにホテルに泊まったと答えると、そうよね。といった表情。
彼女はダラスに行くらしい。
お互いに良い旅をと言い合い別れた。
不思議なものだ。
この大きな地球上で35億の人がいる。
そんななかで、遠いアメリカの地で2日連続で出会い、言葉を交わし合う。
ご縁というのは、本当に不思議なものだ。

昨日と同じく搭乗エリアまではバスで移動する必要があった。
到着してから、ボーディングパスに書かれた52Hの搭乗口近くで温かいパニーニを頬張る。
パニーニは美味しかった。
昨日はほとんど何も食べられなかった。
到着してようやくご飯らしいご飯を食べた気がする。
早く空港に来たため、出発までは3時間ほどある。
気ままに過ごすことにした。
昨日の混乱の影響だろうか。
床で寝ている人がいた。
しかし、それは昨日の混乱の影響でないことがすぐに分かった。
僕の後から来た夫婦が突然床に寝そべり寝だしたのだ。
広い世の中、色んな人がいる。
搭乗まで時間がある時は床で睡眠をとるほどタフな人も中にはいるのだ。
僕にはちょっと真似出来ないかもだけど。

その後、トイレに行ったついでに運行スケジュールのモニターを見ると、サンフランシスコ行きは52Aに搭乗口が変わっていた。
アメリカの空港では日本の空港のようにご丁寧なアナウンスは一切ない。
次は52Aに移動する。
しかし、その時にマフラーをどこかで落としてしまったようだ。
搭乗口の係員に、マフラーを落としたのだけれども届いていないか、落とし物はどこで聞けるか聞けるか聞いたが、忙しいから他で聞いてくれとか、落とし物センターは今日は土曜日だから月曜じゃないと分からないとか、どのスタッフにもまともに取り合ってもらえなかった。
つくづく感じるが、ユーモアはあっても日本のように丁寧さや親身さはほとんどない。
そういった意味では、日本人は素晴らしいなと思う。
マフラーは諦めて、サンフランシスコに着いたらどこかで買うことにした。
その後、搭乗口が52Dから52Eと変わりすぎだろというくらい変わって。
ようやく搭乗開始になった。
前の便が遅れていたから、飛んでくれるか心配があったものの、よかった飛ぶらしい。安心しながらトラップを進むと、クレジットカードが落ちていた。
面倒に巻き込まれるのは嫌だったが、困っている人がいるだろうと拾い上げ、キャビンアテンダントに渡す。
もちろん彼女も迷惑そうな顔だった。

安心したのか、飛行中はずっと寝てしまった。
1時間ちょっとの飛行の後、ようやく待ち焦がれたサンフランシスコの町並みが見えてきた。
着陸の振動を心地よく感じ、気持ちが盛り上がる。
やっとだ!

気分が上がりながら、飛行機を降り、AA6078便のバゲージレーンへ向かった。
そして、若干の予想通り、僕の荷物は出てこなかった。
一緒の便だった他の人が次々と荷物を取り上げる中、寂しい気持ちになってしまう。
サンフランシスコ空港のバゲージカウンターへ行き、僕の荷物が出てこなかったことを伝える。
無愛想なスタッフはPCを叩くと、ああ、という表情をして奥に行ってしまった。
そして、開いたままのドアの向こうから微かに僕の愛しいスーツケースのターコイズブルーが見えた時の嬉しかったこと!!
ようやく出会えたねハニー!
まさに気分はそんな感じだった。

起きた問題が2つ解決した。
清々しい気分でホテルシャトルの乗り場に向かう。
サンフランシスコの乗り場にはホテル直通の電話がついていた。
しかし、シェラトンの番号がない。
しょうがないので、直接電話して、ホテルシャトルはあるかと聞くと、ないとのことだった。
タクシーか、チケットを買ってこちら方面のバスに乗ってくれと言う。
タクシーでもよかったのだが、できれば節約したい。
バスは時間がかかり過ぎるし、荷物が大変だ。
何かいい方法はないものかとインフォメーションカウンターへ行き、相談する。
すると、乗り合いタクシーで行くと良いと教えてくれた。

乗り合いタクシー乗り場で、フィッシャーマンズワーフのシェラトンに行きたいと告げるとお安い御用だとばかりにタブレットを使って手配してくれた。
15分ぐらいで来て赤白のラインがあるエリアに車をつけ、僕の名前を呼ぶからそしたら乗ってとのことだった。
時間があるので、ベンチに腰掛け待つことに。
すると、先に座っていたご婦人がお話好きらしく話しかけてくる。
日本から来たと言うと、彼女の親戚が2年間日本に行っていた。東日本大震災の時にもいた。あの時は大変だったね。という。
しばらくして、彼女の息子さんが迎えに来て、行ってしまった。
その直後に僕の乗り合いタクシーもやってきた。

バンの中にはすでに家族連れ4人とカップル一組が載っている。
運転手はおそらく、南米からやってきたらしくスペイン語鉛の英語を話す。
僕の後にもう一人ピックアップすると、運転手はサンフランシスコに向けてバンを走らせた。
一人あたり17ドル。
このバンだけで136ドルだ。
運転手の取り分は、いくらくらいなのだろう。
そんなことを考えながら、窓の外の景色に見とれた。
空港を出てサンフランシスコ方面に車を走らせると見えてきたのは小高い山。
高い木は生えていない。
その麓に可愛らしい家やアパートが立ち並んでいる。
20分ほど走っただろうか。
フリーウェイを降りるとすぐにサンフランシスコの町並みが広がる。
面白いほどの坂道の繰り返し。
隙間なく建つレトロなアパートやビル。
幸いにして、天気は晴れ。
ホテルに着くまで、軽い街中観光のようなものだ。
運転手は道を知り尽くしているらしく、一方通行が多いサンフランシスコの街中を余裕で走らせる。
車内のBGMもはスペイン語の曲ばかりだった。
好きな曲がかかると運転手は音を大きくした。

穏やかな気持だった。
日本の何事からも離れて、遠い異国の地を颯爽と走るのは気持ちがよかった。
ホテルに到着し、運転手に料金を支払う。
釣りはいらないというと、嬉しそうだった。

シェラトン・フィッシャーマンズワーフにチェックインすると、無事に予約が取れていた(よかった!)
部屋に行き荷物を降ろす。
柔らかな光が差し込む広々とした快適な部屋だ。

晴れている間を狙って早速フィッシャーマンズワーフを散策することにした。

この週末、アメリカは3連休だ。
フィッシャーマンズワーフには人が溢れていた。
陽気に戯ける大道芸人に、ただようシャボン玉、休日を楽しむ人々。
なんだか気持ちが満たされた。

お決まりのピア39でアシカとアルカトラズ島を眺めるが、風が強く、すごく寒い。

のんびりしたいところだったが、厚い雲がはるか彼方から近づいていたこともあって早々に引き返し始めた。
しかし、思ったほど雨雲が問題なさそうだったので、そのままクラムチャウダーを食べる。
アメリカに来たら、まずこれが食べたかった。

10年以上前、母と一緒に此処へ来た時に食べたクラムチャウダー。
その時に初めて、クラムチャウダーの美味しさに目覚めた。
パンをくり抜いた中に、熱々のクラムチャウダーがめいいっぱい入っている。
かもめの糞で汚れたベンチの安全な一角に座り、クルーザーを眺めながら頬張った。

小腹が満たされたところで、海沿いの路地を散策する。
途中、船着き場のエリアに人だかりができ、何か大きな動物の鳴き声が聞こえる。
下を覗き込むと、船の上に人が何人もいて、その人達が注目しているのは魚を手早くさばくおじさんだった。
おじさんは、船の上で待つ人達にさばいた魚を渡している。
そして、鳴き声の主は海の中にいるアシカだった。
アシカの狙いは、おじさんがさばいた魚の皮や捨てる部分だった。
アシカの声に応じて、おじさんが魚を投げる。
アシカはそれをキャッチしてモグモグ。
再びおじさんにラブコール。
いつまでも、鳴くアシカがあまりにうるさいのでおじさんはちょっとムカつきながら、魚を投げ入れる。
そんな繰り返しが面白く、みんな寄ってたかって見ているのだった。
それは、とてもほのぼのとした一幕だった。

アシカを後にして、再び散策をする。
観光地のため、立ち並ぶ店はお土産物屋ばかりだ。
最近の兆候なのか、以前はなかった明らかに中国人が営む土産物屋。
サンフランシスコなのに何故か中国のモノを売っているお店があったり、クローズしている店もあった。
人は多いが、必ずしも景気が良いわけではなさそうだ。
そういえば、クラムチャウダー屋が並ぶ一角の店もひとつ、中国人が営む店になっていたし、一番大きかった店が閉店していた。
そんなところはちょっと寂しさを覚える。

昨日はほどんど寝てないこともあって、今日は早めに切り上げることにした。
コンビニで水とポテトチップスを買って戻る。
ホテルのロビーには軽食とビールを飲むことができる一角がある。
そこでフリーWifiを使用できるので、ビールを飲みながら、明日合う友人と連絡を取り合い、滞在中に行くレストランに目星をつける。

その後、シャワーを浴びに部屋へ戻った。
フィッシャーマンズワーフで体が冷えたのだろう。
温かい湯がここちよかった。
つかるための湯船ではないので、ひどく浅いが、湯をためて浸かった。
フライトから珍道中の道のりで疲れが溜まっていたのだろう。
心地よさと共に意識が遠のく。
1日遅れとなったものの、無事到着できたサンフランシスコ。
ちゃんと出会えた愛しいターコイズブルーのスーツケース。
問題なく素敵な部屋を用意してくれていたシェラトン・フィッシャーマンズワーフ。
3つの問題はすべてクリアできた。
そして、その安心感と共に、僕は22時には夢の世界に誘われていったのだった。

珍道中 at LAX(サンフランシスコ旅2日目)

サンフランシスコ(SFO)への今回のフライトはロサンゼルス(LAX)でトランジットする。
よって、サンフランシスコが旅の目的地第3ポイントでロサンゼルスは中継地点の第2ポイントだ。

予定より早く着陸したが、ターミナルに接続されるまでが長かった。
アナウンスによると、天気の影響とのことだったが、地上に降りてからも天気なんて関係あるのだろうか?
その時は、さほど気になるようなことでもなかったが、後から考えるとこれが事の始まりだった。

事前にESTAに登録していたため、自動の入国管理システムに向かう。(こちらも現在は機械処理化されている)
画面から使用する言語を選択し、パスポートの読み取り、質問事項に回答、指紋の採取などを進め、写真を撮る。
しかし、何故か、処理できないとのエラーになってしまった。
そのため、人がいる入国審査のエリアへ向かう。
機械化が進んだお陰で、いつも長蛇の入国審査場は、わりと空いていた。
待っている間、南米から来た様子のおじさんが、強そうなイケメン警官にどこかに連れて行かれてしまった。
手には紙袋1つ。確かに…、働く気、満々のご様子。そりゃ、捕まるよね。と思いながらも、どこかせつない気持ちになってしまう。

いつも通り、無愛想で横柄な態度の審査官から無事入国OKをもらい、バゲージエリアに急ぐ。
しかし、だいぶ多くの人が待っているにも関わらず荷物がまだ出てきていない。
規模が大きいロサンゼルス国際空港ではしようがないのかもしれない。
ようやく出てきたスーツケースを引っ張り、駆け足で国内線のりばへと急ぐ。

お次は国内線の預け荷物に向かうと、係のおじさんがどこ行きの便か尋ねるので、サンフランシスコだと答えると、時間がないから急げ!と行って、渡したスーツケースをぽいっと後ろのレーンに投げ込んだ。
そのちょっとぞんざいな扱いに若干不安を感じながらも、汗を書きながらゲートへ向かう。
検査エリアはさすが厳重だ。
靴を脱ぐのにはいつも抵抗を感じるが仕方がない。

出発ゲートヘはバスで向かう必要があった。
預け荷物のおじさんが急げと行っていた訳が分かった。
まだギリギリ間に合うだろうという時間に52Iゲートに向かう。
しかし…、いざ到着すると、人がいない。係員すらいない。
搭乗口が変わったのか?
近くの別のゲート職員にサンフランシスコ行きのAA6051に乗りたいと言うと、ちょっと待ってと言って、端末を叩く、そして「Oh!」という軽い驚きの声と共に、キャンセル(欠航)だと告げられた?
理由を尋ねると、嵐だという。
なるほど。成田からロスに到着した飛行機でパイロットが天気でターミナルへの接続が遅れていると言った理由が分かった。
しかも、係員は今日のサンフランシスコ行きはすべて欠航だから、明日の夕方の便になるという。
さすがに、どうしたものかと困惑した。
とりあえず、カスタマーセンターに行って欲しいというので、再度バスにのり、ターミナル4へ戻る。
案の定、カスタマーセンターはいっぱいだ。
サンフランシスコ行きだけでなく、他の行き先でもいくつか欠航が出ているようだ。
並んでいると、皆、不安と不満があるのか、けっこう話しかけてくる。
「どこに行くんだ?」
「自分は、今日中にダラスに行かなければならないんだ。」
などなど。

ようやく順番が来て、17時の便に振替をしてもらった。
しかし、ここでひとつ間違いをしていた。
さきほどの係員が明日の便だと行っていたので、てっきり明日の便だと思いこんでいたのだ。
担当者は当日の17時の便に振り替えていたのに。
明日まで空港で24時間以上過ごすか、近くにホテルをとるか悩み、さすがにホテルに行こうと思いたち、一度外に出たいと言いに、再度カスタマーセンターへ。
再び長い列に並び、同じく予定が狂って、やきもきしている人たちと二言三言交わす。
窓口で強い口調で不満をぶちまけている人、この忙しい時に限って何やら問題発生で拘束され気味の中国パスポートの男性。
まさに、てんやわんやの状況だ。
再び、同じ担当者に当たり、明日の便まで時間があるから、一度外に出たいと言うと、OKとのことだった。
ちなみにこの空港は24時間営業か?と聞くと、そうだと言う。
おそらく、不審におもったのだろう。
係員がチケットを見せてというので、見せると「これ、今日の便だよ!」と突っ込まれた。
てっきり明日まで長い時間ぼんやり待たなければならないと思いこんでた折、嬉しい間違いではあったが、危ないところだった。

しかし、こんなこともあるのだと思った。
ようやく、そして、せっかく来たアメリカで、こんなハプニングが起こるのだと。
17時のその便も欠航になってしまったのだ。
再び、カスタマーセンターへ。
3回目になると、また来たね。という雰囲気。
ついてないねと慰められつつ、再度振替の調整をしてもらう。
どの便も一杯なのか、担当者はPCを叩き続ける。
担当者がPCを叩き続けている間、あれだけ混んでいたカスタマーサポートに一瞬人がいなくなった。
そこで、日本から持ってきた飴玉を3人の女性担当者にあげた。
飴玉は万国共通のコミュニケーションツール。
一気に打ち解ける。
ありがたいことに、担当者の女性は一生懸命対応を考えてくれた。
どうも、搭乗口の担当者達は、今日の便がすべて欠航になる可能性があるとの情報を得ていたようだが、カスタマーサポートのスタッフにはその情報が入っていなかったようだ。
逐一、どこかの担当者に連絡して、運行見込を確認をしている。
そして、可能性があるとすれば23時の便が飛ぶかもしれないが、判断できないと言う。
明日の午前の便の方がまだ確実ということで、空いていた翌日11時の便に振り替えてもらった。
そのため、すぐに泊まるホテルを手配した。
長時間のフライト後、国内線のてんやわんやのために、結局6時間もターミナルにいた。
早く今日の宿へ行ってくつろぎたい。そう思いながら、預けた荷物を受け取りにバゲージカウンターへ。

だが、困難は続くものだ。
今度は、預けたスーツケースが行方不明。
ようやく連絡が来て、レーン1からキャンセル便に荷物を預けていた人の分を一気に出すという。
しばらくすると、レーンが回り、確かに荷物が次々と出てきた。
たくさん出てきた。
だが、僕のターコイズブルーのスーツケースだけ出てこなかった。
もう、ここまで来ると、なんだか「そんな気がしたよ」としか思えなかった。
再び、バゲージカウンターへ。
彼女は「今度こそ、出てくるからもうちょっと待って。20分待っても出てこなかったら、もう一度来てくれる?」という。
再び待っている間に、サンフランシスコの宿泊先であるシェラトン・フィッシャーマンズワーフに今日は行けないけど、明日行く旨を電話。
しかし、再びまさかの展開…。
Comfirmation NO.を告げても、Last Nameを告げても、すでに支払いは済ませてあると言っても、あなたの予約は入っていないから、日本のエージェンシーに連絡してくれと言う。
「マジかー。」
もうそんな言葉しか出てこなかった。
飛行機は飛ばない。
荷物は迷子。
そして、ホテルの予約が取れていない。
珍道中過ぎる。

まあ、何を言っても、とにかく一つひとつ片付けるしかない。
案の定20分待っても荷物は出てこなかった。
再びバゲージカウンターへ行くと、先ほどの彼女は「出てこなかった?」と表情で答える。
何も言わずに、再びどこかへ電話を掛ける。
10分ほど話し込んで、ようやく答えが出た。
「あなたの荷物はすでにサンフランシスコに行っている。」だって。
どうやって??
人間の乗る便は全て欠航なのに??
よくわからないが、明日サンフランシスコで荷物に出会えるよ。ごめんね。と申し訳なさそうに言うので、分かった。ありがとう。と伝え、今晩の宿泊先Custom Hotelへ向かうことにした。

空港近くのホテルは大抵シャトルバスを運行している。
Custom Hotelに連絡し、今空港にいるからシャトルに乗りたいと伝えると、ターミナル番号を聞かれ、数分で行くから待ってて。とのことだった。
シャトルまで、出会えないこと無いよな…。と不安を抱えつつも待っていると、シャトルは私を見放さないでくれた。
ドアを開けてHello!と陽気に迎えてくれたドライバーの笑顔の嬉しかったこと。
ここまで散々だったから、とても心温まった。

ホテルの部屋に入ると直ぐにホテル予約をしたDeNAスカイゲートの緊急連絡先に電話。
担当者に、カクカクシカジカで説明すると、ホテルに聞いてみるから、そのまま待ってという。
電話代を気にしながら、待つこと10分間。
予約はちゃんと取れていて、今日は行けないけど予約はそのままにしてほしいと伝えてくれたそうだ。
バンザイ!
こちらの嬉しさを伝えたく、感謝の言葉をいくつも述べるものの、こんなことには慣れっこなのか、先方のテンションは水平のまま。
だが、相手はどうあれ、こっちは嬉しいのだ。とにかくテンションMAXで喜びを伝えた。

取り敢えず、できる対策は全てした。
後は明日また挑むのみだ。
空腹だったが、ドタバタで対応できなかった返信に返事を返し、夕食を調達しにホテル横のスーパーへ。
さすが、アメリカ。
何もかもがダイナミック!

ビールは基本、瓶がほとんど。
瓶は1本売りがあるが、栓抜きがない。
日本のように350ml缶タイプのび~るが僅かにあっても、6個売りから。
飲めるか!と思いつつ、唯一1個売りされていた1000mlほどありそうなハイネケンの缶ビールを買った。
すぐに寝るつもりだったので、サルサとハム、クロワッサンを少量買って部屋に戻る。
先にシャワーを浴びて、ようやく夕飯をいただくと、機内食を食べてから何も食べていないことに気がついた。
サルサはパクチーが効いていて美味しかった。ハムは厚さがバラバラの雑な切り方だったが、サルサとよく合った。
そして、ビールを半分以上残したところで、睡魔が。

飛行機が飛ぶか、迷子の荷物とちゃんと出会えるか、そして本当にホテルの予約が問題ないか。
不安要素がいっぱいあるけれども、楽しまなきゃ旅じゃない!
なんとかなるだろうと、腹を括りながら、意識はまどろみの中にとろけていった。

以下、意外にいい感じだったホテルの部屋。

旅の始まり(サンフランシスコ旅1日目)

2月17日から25日までアメリカ、サンフランシスコに行くことにした。
理由らしい理由もあまりないのだが、シリコンバレーにいる友達に会いに行くことと、久しぶりに仕事に余裕が出て、暫くの間出かけても問題ない状態になったためというただそれだけだ。
プラプラとサンフランシスコ界隈をのんびり散歩する旅にしようと思う。

まず1つ目のポイントはJR上野駅。
記念すべきポイント1地点!
そう思い、中央改札口を写真に収めた。
移動中、改めて見返すと…、ん?何か改札の上に絵が書いてある。


なんか自由な絵だなー。
そう思い、調べると、この絵は猪熊弦一郎さんという画家さんが描いた壁画だそうだ。
タイトルはまさに『自由』!
うんうん。伝わります。
なんか旅感も出ているしね。

お次は京成上野駅。
スカイライナーに乗って成田空港に向かう。


成田空港行きの列車はきっと海外からの観光客がめちゃくちゃ多いだろうに、なぜか京成の案内板、アナウンス共に、外国語での対応が少ない。
なぜだろう?日本に来たなら、気合で日本語を理解して頑張って、という姿勢なのだろうか?

ちなみにスカイライナーはネット予約できます。
https://skyliner.ec.keisei.co.jp/pc/U_OT_00_01.action
こちら↑のサイトは会員登録が必要だけれども、「えきたん(http://ekitan.com/)」で[WEB予約]ボタンを押して予約画面に移動すると、会員予約なしでも予約ができちゃう。
だがしかし、予約時にメール登録するのに、予約完了しても自動でメールが届かない。
完了画面に「予約内容をメールで送る」ボタンがあるけれども、押すとメーラーが立ち上がる。
Gmailユーザにとって、メーラーって。。。Orz
そんなわけで、確認メールを送らずにどこかにメモった。
しかし、それを忘れてしまった。
そのため、結局窓口で普通に購入。
(予約は出発の5分前までにチケット購入がなければ自動で取り消される。)
ラッキー♪空いていたので、狙い通りの座席が取れた。

ここでひとつ、大きな荷物を持って電車で移動する時のポイント。
荷物が大きい時は、車輌の一番後ろの席を予約すべし。
なぜなら、椅子の後ろに気兼ねなく荷物を置けるから。
しかも、遠慮なく座席も倒せるしね。
僕は大抵、列車の事前予約で座席指定ができる時は、荷物がなくても車輌の一番後ろを選択します。

旅の第2ポイント、成田空港に近づくに連れて、畑から砂煙のようなものが立ち上がっていた。

相当、風が強いらしい。
もしかしたら、飛行機の運行に影響が出ているかもしれない。
そんなことを思いながら、アメリカン航空のカウンターへ行くと、予想的中。
チェックイン手続きが一旦ストップしていた。
しばらく時間もあることだし、中華レストランで腹ごしらえ。
1時間ほど経って再びカウンター近くに腰掛けていると、ちょうど手続きが再開し始めた。

最近は、ほとんどオートマチックなチェックインだから、機械に向かって自分でチェックイン手続きをするのだけれども、慣れていない人が操作に手間取ったりしているため、長蛇の列。
窓口担当者がオペレートした方が早いんじゃないかと思うのだけど、時代の流れなのだろう。

荷物検査、出国審査を超えて、中に入ると、免税店の香水の香りでいかにもな香りにあふれている。
最近はモバイル文化のため、電源を確保できるエリアの充実感も半端ない。
ちょっとしたカフェのよう。
カフェの隣には、ふとんの西川のデモンストレーションとなっている寝れる布団ベンチがあり、ほとんどが埋まっていた。
しかも皆、本気で寝ている。乗り遅れたりしないのだろうか。心配だ。

せっかくなので、電源スペースのベンチでパソコンタイムを過ごした後、いよいよアメリカン航空AA170便に乗り込んだ。
久しぶりの海外。
一体どんな旅になるだろうか。

起業するつもりなんてなかった。[起業話#1]

なぜこんなことになったのか、今でもよく分からない。

僕はなぜ起業したのだろうか。

いや、いつの間にか起業してしまったのだろうか。

僕は、いわゆる「起業」をしてから、2017年で14年が経過し、個人事業で4年、法人化してからは10年の月日が経ったことになる。

どうしてこんな風に書くのかというと、僕自身、「起業」なんて全くするつもりなかったからだ。

だけれども、気がついたらいつの間にか起業してしまっていた。

 

事の成り行きはこうだ。

大学を卒業して東京で就職した航空会社のWEB事業部。

ここの物語も話せば長いが、端折って話そう。

そこは、今で言う超ブラックな勤務体系の会社だった。

深夜まで働いて、仮眠程度の睡眠とシャワーのために一旦家に戻り、また出勤の繰り返しの日々だった。

新入社員も中堅も関係なく、とにかく人と時間が足りなくて、毎日が張りつめた時間の連続。

そんな折、大きなプロジェクトが発足したが、そのプロジェクトの予算を偉い上司がネコババしていることが発覚。

やつのデスクトップの背景はベンツだった。きっと、ネコババした金で買うつもりだったのだろう。

それを知った当時の同僚が言ったセリフが「俺たちアリンコかよ!」だった。

薄給で長時間セコセコ働く僕たちは確かにそんな感じだった。

でも、チクるのは怖かった。

チクってバレたら、とにかく性格の悪いそいつに嫌がらせされるのが目に見えていたからだ。

(そいつの嫌がらせは人を恐怖で身動きできないようにするような最悪なものだった。)

でも、事実を知っているみんなは許せていなかった。

そして、うまい具合に信頼できる上司に話した人がいた。

ざまあみろなことに、ネコババ上司は、表向き自主退社、実質懲戒免職になった。

チクった人最高!

だが、それはとてつもなく長い戦いで、余計な神経がすり減る戦場だった。

解決したころには、退職者が続出していた。

僕も仕事内容は好きだったが、上司たちの政治争いに嫌気が差し、いつの間にかそこで働くことがバカバカしくなってしまっていた。

そして、大好きな仕事だったが、辞めることにした。

とにかく、疲れていた。

 

当時の僕は、次の仕事が決まっていたわけでもなかったが、なぜだか特に焦ってはいなかった。

おそらく、疲れていたのだ。

普通の世の中から、一歩距離を置きたかったのかもしれない。

遊ぶ暇もなかったのが幸いして少しの貯蓄があったし、しかも、退社前に野蛮な生活が災いして、緊急入院したため、退職理由が病気となり、失業保険もすぐに出た。

そこで、とりあえず実家に帰ることにした。

その時は、いずれまた頃合いをみて、東京で仕事を見つけて、東京に戻るつもりだった。

しかし、久方ぶりに帰った実家のご飯は美味しかった。

掃除も洗濯も自分一人でしなくていい実家は、居心地が良すぎた。

そして、東京に舞い戻るタイミングを確実に無くした。

 

これが奇しくも、起業人生が始まるきっかけだったのだ。


起業するつもりなんてなかった。[起業話#1]
起業するつもりなんてなかった。
[起業話#1]