ゆでガエル[V字回復下り坂#5]

法人2期目を経て、業績は増収増益の黒字だった。

「人脈と不義理[起業話#19]」で書いたように、僕は完全に自信過多だった。

人脈と不義理[起業話#19]

3期目に入り、正社員4人になった時点で、ほころびが出始めていたことに全く気がついていなかった。

根拠のない自信で覆い尽くされていたのだ。

ビジネスをしていて、この「根拠のない自信」ほど怖いものはない。

とにかくうまく行くだろう。行かないわけがない。失敗するはずがない。という根拠のない自信で僕は人材マネジメントも経費コントロールも知らずに、我が道を進んでした。

しかも、この頃は金銭感覚がおかしくなっていた。

月収数十万のサラリーマンの感覚を超えたことがなかった僕が、月にかなりの額のお金を稼ぎ、動かすようになったことで、お金の感覚がくるってしまっていたのだ。

イメージとしては、10,000円を使う感覚が1,000円、はたまた100円を使うような感覚になっていたのだ。

車を買ったり、夜遊びで散財したり、服やカバンなどは値札を見ずに買っていた。

「使ってもすぐに稼げる」そんな考えがあった。

結果的に僕は、ジワジワと窮地に追い詰められていることに気が付かず、危機を到来を迎えてしまう。

危機とは、大きくお金と人の2つだ。

売上が変わらない、もしくは下がっている月がほどんどにも関わらず、先のビジネス戦略をまったく考えていなかった。

社員は、自分と同じモチベーションで働いてくれているとばかり思っていた。

ある時、その2つの危機は飽和状態になる。

そして、同時期に爆発するのだ。

僕が色んな企業や経営者と接してきて思うのは、危機はすべて同時進行で動き、ある時同時に爆発することによって、その組織は崩壊へと動き出す。

そして、多くの人はその危機に驚くほど鈍感だ。

経営者でさえ、鈍感なのだから、社員が気づくことなんて、確率的にはより少ない。

仮に、できる社員がそれに気がついたところで、彼らがそれほどその組織に愛着をもっていなければ、さっさと転職してしまう。

 

危機は必ず何らかの予兆を表現しながら近づいてくる。

つまりは、なんらかのシグナルがあるのだ。

経営者がどれだけ、そのシグナルに気づくことができるかがカギだ。

図に乗った経営者がそのシグナルに気がつけるかどうか、そこが運命の分かれ道になる。

僕の場合のシグナルの一つは、「変な人間が近づいてきた」ということだった。

金使いが荒くなると、当然、カネ目当てに目を光らせている、いわゆる詐欺師な人間が近づいてくるくるのだ。

それだけではない。

その当時を振り返ってみて、「あの人はちょっと無かったな。」と思う人は、どういう人かというと、そんな詐欺師的人間だけじゃない。

不思議なことだが、

・約束を守らない

・金を払わない

・うそばかりつく

そんな人間が、不思議と寄ってきていたのだ。

そんな人間との波乱万丈な日々は追って書きたいと思うが、とにかく、何か事がおかしな方向に向かっている時は、不思議なことだが、僕の場合は、こんなちょっとおかしな人が寄ってきていたのだ。

これは、今思えば、危機へ向かっているというシグナルだったと思う。

経営者はこの「シグナル」を感じる感性が必要だと僕は考える。


ゆでガエル[V字回復下り坂#5]ゆでガエル
[V字回復下り坂#5]

人脈と不義理[V字回復下り坂#4]

その頃、僕は自信過多になっていたと思う。

売り上げを年々伸ばして、社員も4人雇って、オフィスも構えて、名も売れてきて、自信が存分についてきていた。

確かによくやっていたとは思うが、そんなのは今思えば序の口だ。

だが、周りからも若手なのにすごいだとか、憧れてくれる年下の人間が増えて来ると、どうやら勘違いをしてしまったらしい。

当然、起業当初は謙虚の塊のようだったのに、謙虚さが完全に抜けていた。

今、一番後悔していることは、当時お世話になった方に不義理といえる行為をしていたことだ。

もちろん悪気はなかったのだが。

毎日毎日、たくさんの人と出会い人脈ができていた。

本来であれば、途中を繋いでくれた人や、紹介してくれた人に、

「○○さんのおかげで…」とか、

「○○さんのご紹介で知り合った、あの方と…」など、

何か事が進んだ時や、あたらしく依頼をいただいた時は、筋を通したり、お礼を伝えるべきだ。

だが、僕はそれを怠っていた。

仕事を取れたり、新しい繋がりを生かすことができているのは、自分の能力のように勘違いしていたのだ。

一度先輩から、それを遠回しに咎められた時に、僕は反発的な言動と態度をとってしまった。

今思えば、それが恥ずかしくてしょうがないし、その時の先輩に大変申し訳ないと思う。

たくさん、痛い思いをして、起業して10年以上経った、今になってみれば、謙虚さと感謝が何よりも大事なことが痛いほど分かる。

だが、若気の至りとは言え、僕はそういう人間になってしまっていた。

ここが起業してからのターニングポイントのひとつだと思う。

少し、成長できた時に、変わらず謙虚さと感謝の気持ちを持ち続けられるか。

簡単なことにも思えるし、口で言うのはたやすいが、実際は多くの人間がここで間違った方向に言っているように思う。

ここでしっかり、謙虚さと感謝を持ち合わせていられるかが、起業後、成長し続けられるかのターニングポイントと言っても過言では無いと思う。


人脈と不義理[V字回復下り坂#4]人脈と不義理
[V字回復下り坂#4]

思いがけない人員増加[V字回復下り坂#3]

法人化し、オフィスを構えてからは、とにかく仕事をしまくった。

夜の付き合いも、誘われれば、断ることなく顔を出した。

とにかく忙しい日が続き、数時間アルバイトのヤスオと、正社員事務の知世さんだけでは、人手が足らなくなっていた。

そんな折り、知人からデザインや制作の仕事をしたいと言っている人がいると、一人の若者を紹介された。

面談してみたところ、人柄も素直で、やる気もあったので、新しく雇うことにした。

もちろん、正社員としてだ。

その頃は、とにかく仕事が溢れていた。

入ってくるものもでかいが、出ていくものもでかいことに僕はまだ気がついていなかった。

しばらくしてから、知り合いの職業訓練を行なっている会社から職業訓練生のインターン生を見て欲しいと依頼を受けた。

忙しい最中、一度は断ったが、知り合いから頼み込まれ、2人受け入れることにした。

実際に仕事をしてもらったのは、10日間ほど。

インターンの最後になって、そのうちの一人がうちで働きたいと言っていると知り合いから申し出があった。

忙しくはあったが、人ではギリギリ足りている状態。

正直、その時は新しいスタッフは必要なかったが、東京とは異なり、地方都市の町では、デザインやWEB制作をしたいと思っても、まだまだ働き口が充実していなかった。

僕としては、先に一緒に仕事をしているヤスオが正社員になって、勤務時間を伸ばしてもらう方がありがたかったが、彼にその話をしても、性格なのだろうか。

いつまでたってもそうなるつもりはないようだった。

夢を持っている若者を受け入れて、彼らのやりたい仕事に熱中できる環境を提供してあげたいという気持ちもあった。

結局、僕はその子を正社員として、受け入れることにした。

期待をかけて、育てれば、期待に答えてくれるだろうと思った。

入社したばかりのスタッフは、ほとんど素人だ。

とにかく、それからは、自発的に向上心を持って、学んで、仕事をしながら体で覚えてもらうしかなかった。

新しい二人は若いからだろうか。徐々に成長していった。

すると、ヤスオは何を感じたのだろうか。

先に入っている自分に近づく、もしくは追い越す勢いで成長している若手に焦る気持ちがあったのだろうか。

それまで続けていたアルバイトの一つを辞めて、自分も正社員になりたいと言い出したのだ。

彼を無下にすることもできず、結局、正社員は4人となった。

マンパワーが充実した分、コストは想定以上に膨れ上がった。

だが、いい仕事をこなしまくれば、まだまだ伸びることができると僕は思っていた。


思いがけない人員増加[V字回復下り坂#3]思いがけない人員増加
[V字回復下り坂#3]

オフィスを設立[V字回復下り坂#2]

株式化すると同時にアパートの一室の事務所から、「オフィス」へと引っ越した。

正直僕としては、これまでどおり、アパートの一室の事務所で十分だったのだが、出資者から、事務所の「見た目」も大事ということで、オフィス物件への引っ越しを進められたのだ。

更に、引っ越すだけでなく、内装を入れ、WEB制作事務所らしくオシャレに、家具も内装に合わせて調達した。

これも出資者からのアドバイスだった。

結局、コストは300万円以上かかった。

正直、出資金がこれで全部飛んだくらいだ。

その他に、株式登記のために20万円、行政書士や税理士に支払う金額が10万円以上など、とにかくお金がかかった。

しかし、そのコストをかけた分のリターンがあると、その時は考えたのだ。

実際、若手でりっぱなオフィスを構えたことで、口コミの知名度は少し上がったと思う。

これまでは、来客があっても、アパートの空いている畳の部屋で、ちゃぶ台での打ち合わせだったが、きちんとミーティングルームも、さらに応接室も準備した。

そして、当初1人だったスタッフは、引っ越しの頃には2人になっていた。

事務スタッフが必要だったのだ。

スタッフを雇う [起業話#11]

そのため、引っ越し当初は僕を含めて3人だったが、いずれまた人が増えるだろうということで、5人分のデスクをオリジナルで制作した。

ドアを開けてすぐに、エントランスを儲け、オリジナルのデスク5人分に、デスクに合わせた椅子。

壁紙も床材もすべてオリジナル。

デザインに合わせた収納棚、打ち合わせスペースのテーブルと椅子もオリジナル。応接室のソファーもテーブルも何もかもがオリジナルだった。

お金がかかるわけだ…。

だが、デザインもしていた僕は、自分の世界観で作り上げた空間にとても満足していた。

自分の世界観満載の空間で、仕事に打ち込める。

それが幸せだったのだ。

起業してから3年立たないうちに、ここまで成長できたことに、大分自信をもつことができた。

なかなかできないことだということを周りからよく言われた。

この時から、僕はさらに仕事人間になった。

そして、この頃にはすでにサーフィンからは遠のいていた。

オフィスが街中になったため、海からも離れてしまった。

仕事が生きがいになっていた。

仕事さえしていれば、自分は正しいことをしていると思っていた。

これが、良いことなのか、悪いことなのか、という話ではないが、着実に変化をしていたのだ。


オフィスを設立[V字回復下り坂#2]オフィスを設立
[V字回復下り坂#2]

エンジェルで株式会社設立[V字回復下り坂#1]

V字下り坂エピソードのひとつめのお話し。

一見すると、とてつもなくラッキーなことのように思える話しですが、今思えばこれが、V字の坂道を下りだす始まりでした。

 

個人事業として起業してから1年半が経った頃、僕は経営者が集まる会で知り合ったとある会社の社長から、株式会社として事業をしてみないかと持ちかけられた。

しかも、資本金はその社長が出すというのだ。

僕は迷った。

その頃にはもう、ニート時代のふわふわ感はなくなり、いち経営者として、ほんの少し、お堅い人間に僕はなっていた。

ひと昔の僕なら、即座に断っていただろう。

しかし、株式会社なんて考えたこともなかった展開に惹かれた。

株式会社の社長となることによって、自分が大きく立派になれるという欲目が若干あった。

しかし、反面、他人の資本が入ることにより、自由度が少なくなり、自分の意見や理念を押し通しづらくなる可能性がある。

迷いに迷ったが、冒険好きな20代だった僕は、結局のところその申し出を受けて、出資してもらい、株式会社を設立する道を選んだ。

先に結末を話すと「法人化と覚悟」の記事にも書いたように「僕にとっては」これはいい選択ではなかった。

 

法人化と覚悟|(第2話)自分で株式会社を作ってみた

この時、立ち上げた会社は10年経った時点で休眠させ、僕は僕だけの会社を立ち上げたのだ。

ただ、この選択が間違いというわけではない。

人によっては、こういったステップが逆に追い風になることもあるだろう。

ただ、僕の性格からして、やはり他人との二人三脚は向いてなかったのだ。

共同経営の会社は多くがうまくいかない。

これは、世の中の多くの人がそう言う。

 

僕のように、だれかから出資してもらう、要はエンジェルが出現して、株式会社を立ち上げるという流れになったケースはとても多い。

とてもよく聞くケースだ。

出資金を工面する必要がなく、法人化によって、事業の幅が広がり、また事業が加速することは魅力的だ。

だが、出資してもらっている分、エンジェルの意見や考え方に添わなければならない面も出てくる。

これが、最初は大丈夫だと思っていても、意外にさまざまなフラストレーションの要因になってくる。

最初は仲が良くても、数ヶ月、数年経った頃に仲違いという話もザラだ。

このご時世、「自分で株式会社を作って見た」のシリーズにも書いたように株式会社というのは、ちょっと面倒な手続きと、そんなに多額でない資金でできてしまう。

自分で株式会社を作ってみた

一度、エンジェルのおかげで法人設立したものの、結局は閉じてしまった経験がある僕からしてみると、エンジェルによる法人設立はよーく、とてもよーく考えた方がいいと思う。

実際、自分の力だけで法人設立をして、僕はようやく鎖から解き放たれた気分になったからだ。

事業が加速し出すと、この手の誘いや、法人設立でないにしろ、儲け話のようなものはかならずどこかから、流れてやってくる。

その手の話は、慎重に検討した方がいい。


エンジェルで株式会社設立[V字回復下り坂#1]エンジェルで株式会社設立
[V字回復下り坂#1]

体が資本[起業話#16]

起業して社長となった人間が、クライアントやビジネスパートナーに「今日は体調が悪くて」なんて言い訳をして、仕事に穴をあけようものなら、次からの依頼がなくなっても不思議じゃない。

ましてや、寝坊して会議に遅れましたなんてことは、もってのほかだ。

風邪を引いて熱をだすこともたまにあったが、自分が経営者だという自覚を持ってからは、不思議なことに風邪を引くことがめっきり少なくなった。

時折、不意に体調を崩すことがあっても、崩しきる前に治したり、仕事に穴をあけることなく、回避できるようになった。

経営者は体が資本だ。

代わりがいないのだから。

だから、なるべく健康や食べ物、生活習慣に気をつけるべきだと思う。

しかし、実際は夜の席の付き合いも多かったりと、なかなか苦労が絶えないのも事実だ。

そうなってくると、経営者というのは無理をしがちになる。

僕が一度失敗したのは、企業した翌年の夏のことだ。

その時は、立て続けに急ぎの仕事が入り、連日連夜遅くまで仕事をしていた。

何本か並行して抱えている仕事の中に、スタッフには任せられない、僕にしかできない仕事が一本あったのだ。

そういった状況の中、その日は、事務所で朝方まで仕事をしていたため、家に帰るのがおっくうになり、事務所のソファーで仮眠をとることにした。

すると、仮眠を取っている最中に突然、腰の後ろに激痛が走った。

あまりの痛みに冷や汗が出て、もう、動けないのだ。

ぎっくり腰なのか、何なのか、経験したことがない痛みに結局寝られずに悶絶し、その後朝を迎え、病院に行っている暇などなかったが、とりあえず朝一で診察してもらった。

しかし、不思議なもので、病院に着く頃には痛みが和らいでしまった。

医者の見立てでは、尿結石が腎盂か尿管を刺激したため、激痛が発生したものの、尿と一緒に流れてしまったのかもしれないとのことだった。

だが、その際、組織を傷つけているかもしれないので、処方された薬をきちんと飲むことと指導された。

ここで僕は、バカなことをした。

処方された薬を薬局に取りに行くことなく、飲まなかったのだ。

あの激痛がなくなったことと、たいした病気じゃなかったという安心感、そして、1分でも早く仕事に戻らねばという思いが先行したのだ。

そして、これがその後の悲劇をうむ。

その後、2日ほどが過ぎ、同じようにハードに仕事をこなす日も続いたが、僕しかできない仕事もいよいよ終盤・・・。というところで、今度は食事をとった後に、急に気分が悪くなり、高熱が出て、再び動けなくなったのだ。

翌日になっても熱が下がらず朦朧とする中、友人に病院に連れて行ってもらった。

診断結果は、腎盂腎炎だった。

あの時、薬を飲まなかったから、症状が悪化したのだ。

医者には、即入院。入院期間は約10日間と告げられた。

入院?しかも10日も??

仕事があるから、そんなには入院できないと言ったが、歩けずに車椅子に乗せられている状態では、なんの説得力もなかった。

結局、病院からスタッフに電話で指示を出し、山のように溜まった仕事も、僕にしかできない仕事もスタッフにやってもらった。

慣れない難しい仕事に、スタッフにはかなりの負担をかけてしまったと思う。

そして、実際に指示を出せばスタッフでもやり遂げることができたのだから、僕にしかできない仕事ではなかったのだ。

もちろん、クライアントからも心配されたものの、苦い声で進捗への不安を吐露された。

この経験が、あったからこそなおさら僕は、自分の体の調子をビジネスに影響させないことに執着した。

人間、生きて入れば、常に健康で元気でいることは難しいかもしれないが、経営者が置かれた環境は厳しい。

なにがあっても、地を這ってでもビジネスを成し遂げるぐらいの気概が僕は必要だと思う。

そして、「自分にしかできない」という状況は、会社としては脆弱だ。

この点は、経営者として常にどうすべきか、どうあるべきかを考え続ける必要がある。


体が資本[起業話#16]体が資本
[起業話#16]

その程度の人間[起業話#15]

僕がWEB事業を個人事業で始めたころは、僕が住む地方都市では、まだまだこの業界はうなぎ登りの好景気だった。

そのため、当然それにあやかろうという知識もプロ意識もないぽっと出の自称「WEBディレクター」がウヨウヨいた。

その人達は、営業力があったら、それはそれはやっかいで、口がうまいので、仕事を取ってくるが、自分では、どうすることもできないので、僕らのようなWEB制作ができる人間にそれを振ってくる。

別に良いのだが、僕がよく腹を立てていたのは、そいつらのプロ意識のなさだった。

知識が少なくても、それを認めていて、「教えてほしい」という姿勢と、知識がないながらもクライアントのために最高の仕事がしたいから協力して欲しいという姿勢のWEBディレクターには気持ちよく協力、むしろ仕事をさせていただけて感謝の思いで接することができたが、少しは、勉強すればいいものを、全く勉強もせず、いかにクライアントに高い制作料で契約をつけるかばかりを考えていた、エセWEBディレクターとはよくぶつかった。

よくあったのは、知識がないから予算内で出来もしないような要件を調子をこいて受けてくることや、専門知識がないクライアントにうまいことを言って、半ば騙すような法外な金額で契約するようなやつだ。

一番最悪なのは、ミーティングにも同行させられ、企画等もすべて丸投げしてくるやつだ。

ディレクションができないのなら、最初からそう言えばいいのに、こちらに投げてくる仕事があまりにも多いので、ディレクションの見積もりは別見積もりでと要求すると媚びるような感じで、追加料金はなしにしてほしいとせがまれる。

僕たちは、「業者」じゃない。どんな仕事でも「業者」扱いされた時点でそいつとの縁は切るべきだと僕は思っている。

もし、縁が切れずにずるずるとなるようなら、自分がしんどい思いをすることは間違いない。

エセWEBディレクターのお陰で僕は学んだ。

パートナーとして対等にビジネスができる相手と仕事をするべきだ。

こちらが下手にでたり、媚びへつらう必要があったり、お願い営業をしなければならないそんな相手とはいい仕事ができないし、長続きしない。

僕は納得がいかなければ、「おかしい」ということを、とことん突き詰めた。

結局、エセWEBディレクターは、時代の流れと共にどこかにいなくなってしまった。

クライアントも馬鹿じゃない。メッキは剥がれるのだ。

何年かしてから、エセWEBディレクターのひとりから、『僕に失礼なメールを送るんじゃない!』という主旨のかなり怒りモードのメールが送られてきた。

あなたにメールなんか送ってませんけど?と思いながら、読むと、僕の会社名と似た名前の会社からの営業メールに激高したらしい。(まあ、それくらいのことで怒るのもどうかと思うが。)

もちろん、大人な対応を僕はした。

失礼ながら、僕の会社は○○で、メールの送信元の●●という会社は別の会社のようですね。こちらからはメールはお送りしていません。

という内容でとても丁寧に書いた。

あなたが、このエセWEBディレクターの立場ならどうするだろうか?

僕なら、大変申し訳無い。とまず謝り、こちらの勘違いで不快な思いをさせてしまったことを即座に詫びる。

だが、エセWEBディレクターからは何の返信も、連絡もなかった。

失礼にも程があるとは、まさにこのことだ。

その程度の人間なのだ。

そういった人間と仕事をして、時間も気持ちをすり減らすのは、限りある人生、とってももったいないと、僕は思う。


その程度の人間[起業話#15]その程度の人間
[起業話#15]

メッキをまとわない[起業話#14]

20代や30代前半もしくはそれ以上の年齢でも、特に起業したてのホットな人間というのは、やる気に満ち満ちていて、いわゆるギラギラしている状態の人間が多い。

同年代の起業家の集まりや飲み会があったりすると、まー、ギラギラしているね。

「自分のところはこんなに儲かっている」

「あいつの会社はこんなことをしたから業績が下がったんだ」

「これからやる事業がハンバ無くうまくいきそう」

そんな話でもちきりだ。

まあ、起業家、社長、というのは基本的に一般人と比べて、失礼ながら変わった人が多いので、これくらいは別にいいとは思うのだが、僕がいつも懸念するのは自分にメッキを付けないようにすることだ。

どういうことかというと、事実以上に自分を上に見せないということだ。

実際は、自信がないのに自信があるように振る舞ってみたり、お金が火の車なのに儲かっているように見せたり、事業がうまくいっていないのにうまくいっているように見せることだ。

当然、バカ正直にこれらを話すのもNGだ。

バカ正直に話したところで、悪い噂が広まって顧客離れや業績不振に影響するのがオチだ。

だが、必要以上に『上』に見せたところで、そのメッキは直ぐに剥がれてしまう。

一時的に、騙くらかすことはできるかもしれないが、結構そのメッキというのは、すぐに剥がれてしまう。

だけど、特に男性は自己顕示欲が強い。

社長の尺度というものは、会社の規模や従業員の数、年商や自分自身の年収になってくるため、それらの話題になった時に、強がったり、事実以上に大きく見せることが多い。

だが、僕はこの点をできるだけ自制した。

煽られれば「いやいや僕だって!」という気持ちも出てこないわけではないが、そんな気持ちに負けて自分を強く、大きく見せたところで、得することがあまりない。

実際、自己顕示話の結果、「わーすごいですね!」なんてヤンヤヤンヤ周りから持ち上げられていたのにある日突然、会社が倒産したり、社長がどこかに雲隠れして居なくなってしまったりということが往々にしてある。

あれ?昨日までなんか、スゴイこと言ってなかった??えー??

なんてことがこれまで何度もあった。

だから、僕は『謙虚さ』というものを自分自身に叩き込んで来た。

自己顕示欲は生意気にも見られかねない。

同世代や年下の人間からは憧れとして映るものも、年上からはタダの生意気にしか映らない場合もある。

もちろん、そのくらいギラギラしている方が面白いね!という年上の先輩たちもいるが、得より損することのほうが多いのではないだろうか。

起業して、「社長」と呼ばれ出すと、どんな人間でもちょっと勘違いしてしまうことがある。

もし、あなたがこれから起業するのなら、その勘違いから生まれるギラギラやメッキに是非気をつけて、客観的に見てもらいたいと思う。


メッキをまとわない[起業話#14]メッキをまとわない
[起業話#14]

経営者が集まる場所[起業話#13]

経営する立場になって初めて知ったのだが、経営者や経営幹部が集まったり、参加する団体等者が世の中には星の数ほどある。

JC、ロータリー、ライオンズ、中小企業同友会、倫理法人会、守成会。

経営者が集まる会となると、こんなものじゃない。その他、勉強会などを含めると様々な団体や組織がある。

その数は、本当に計り知れない。

オブザーバなどで呼ばれて、顔を出したことがあるが、そこには有名企業の重役もいれば、聞いたことがない会社もたくさんあった。

最初は「経営者となるとさすが、すごくレベルが高いことを勉強しているな…。」と感銘を受けたことを覚えている。

僕は、経営の勉強を全くしたことがなかったので、その新しい世界に刺激を受け、正式入会はしなかったものの、勉強会には顔を出すことが多くなっていた。

名だたる企業の社長や重役と肩を並べて、その場にいるだけで自分が偉くなったような錯覚も覚えたような気がする。

そう言った場では、たいてい会の後に『懇親会』と言われるものが開催される。

そこで僕は若手だったこともあり、先輩経営者に色んな方を紹介してもらった。

そして、名刺交換を山ほどした。

これが、人脈が全くないスターター企業にとっては、とてつもない力になる。

その場で自分の事業をどれだけ魅力的にプレゼンできるかが、その後の社運に繋がるといっても過言ではない。

後日、名刺交換先の企業から、仕事を依頼を受けることも少なくなかった。

もちろん、自分から営業(売り込み)をすることを厭わないスタンスなら、名刺交換してくれた人にハガキや手紙を送るのもありだと思う。

マメな人は、名刺交換した人全員に手書きのハガキを送る人もいるくらいだ。

だから、スタートアップしたての会社はこういった場にこまめに顔を出し、人の繋がりを太くしていくことはとても得策だと思う。

ただ、僕はそうしなかった。

こういった人脈作りがダメというわけではなく、僕の場合は、僕の性分に合わなかったのだ。

だから、様々な経営者の団体から加入してくれとオファーをいただいたが、丁重にお断りした。

まず、毎月もしくは毎週定期的に参加しなければならない会は、自分の時間をその間拘束されてしまうし、話をしていて楽しい人ばかりではない。

楽しくなくても、それなりに「大人の対応」をする必要があることに疲れてしまうのが分かっていたからだ。

自分でも思うが、経営者なら、これらのことは率先してやるべきだと思う。

これしきのこと、ガッツで乗り越えられる性分の人がたいていだと思うし、成功している周りの経営者仲間も、実際こういったことを熱心にやっている。

人脈が事業にどれだけ影響を与えるかは、僕も身をもって経験している。

だから、もしあなたが企業を考えていて僕ほどめんどくさがりでないのであれば、こういった場で、ドンドン人脈を作っていくことをオススメする。

起業してうまくいくかどうかは人脈作りにかかっているといっても過言ではないからだ。

自分の事業地にある、様々な経営者団体を調べてみるのもいいと思う。

各団体毎にカラーがはっきり別れているし、自分の事業にあった団体というものもある。

そして「懇親会」では、是非積極的に『プレゼン』をして欲しいと思う。

その効果は、歴然と現れるはずだ。


経営者が集まる場所[起業話#13]経営者が集まる場所
[起業話#13]

仕事のスタンスを決める[起業話#12]

営業をしなくても仕事をいただけていた当時、最初はクライアントから直接依頼をいただくことが多かったが、そのうち、広告代理店や印刷会社が間に入り、仕事をいただくパターンが増えてきた。

要は、顧客との直接取り引きではなく、間にその会社が入って、クライアントと打ち合わせをしたりするのだ。

要はエージェントというやつだ。

制作費はもちろん、間に入っているエージェントから頂く。

エージェントからクライアントにいくらの値段を請求しているのかは知るよしもなかったが、おそらくコチラの見積もりの2倍以上を出していることは間違いないと思う。

よくそれに異論を唱える人もいるが、仕事を取るということ、間に入って責任を保証するということは、とても大変なことだ。

この手の世の中の仕組みに対して、僕は特に何も思わなかった。

ただ、そんな中、大手のエージェントを通して、決まっていない仕事の企画を持ち込まれることがあった。

つまり、コンペだ。

特に、行政関連の案件では必ずと言っていいほど、このコンペがある。

これが、意外に大変なのだ。

コンペなので、採用されなければ当然報酬はでない。

もし、仕事が取れたらこちらに仕事を任せるから、コンペを通るように良い企画書とデザインを作って欲しいというのがエージェントからの依頼だった。

エージェントは、それまで紙ものやテレビCMなどの仲介をしていた業種だ。

急に勢いを増してきたWEB関連のいい感じの企画をできる人間は、当時まだあまりいなかったのだ。

そのため、自分たちではコンペに通る企画ができないと考えたエージェント達は僕に依頼してきた。

コンペのための企画書づくり、ラフデザイン(→コンペが通ればほぼその通りになるので、ラフどころか本格デザインとなることが大抵。)はとても時間がかかる。

だけど、その仕事を取れたら結構な大口取引だった。

だからこそ、僕は報酬をもらえないかもしれないと分かっていながらも、何度もコンペ案件を受けた。

そのエージェントにお世話になっていたから断れなかったということもある。

実際、僕の企画案は行政のコンペで何度か採用された。

もちろん採択されない場合もあった。

そうこうしている内に、コンペの裏事情をいつの日か知るようになったのだ。

それは何かと言うと、『出来レース』のコンペがあるということだ。

明らかに自信があったプレゼンだったのに、取れなかったことが何度もあった。

当然、僕の企画案より優れた案だったということもあるだろう。

しかし、世の中には、不条理というものがある。

行政は、1つの企業に発注が集中しないよう公平性を期すためにコンペをするというのが、決まりとなっているのだが、実際はすでに発注先が裏で決まっていて、建前上、一応コンペをやっておくということがあるらしいのだ。

馬鹿馬鹿しい!

僕が費やした時間と労力を返せ!!

と息巻くことはなかったが、まあ、世の中そんなもんだろうなと思った。

そのことを知ってからは、コンペの主催と参加企業の顔ぶれを見るだけで、「ああ、今回はあそこの会社だろうな」と勘が働くようになった。

それで、僕はコンペ案件を受けることを辞めた。

「僕にお願いしたい」と言ってくれるクライアントだけの仕事を受けることにしたのだ。

幸い、ご依頼を頂き続けていたからこそ、そうできたのだが、僕にラブコールを送ってくれたクライアントを差し置いて、通るか通らないか、はたまた『出来レース』かもしれないコンペに時間を割くことを辞めたのだ。

求めてくれるクライアントにこそ、時間と情熱を費やそうと決めたのだ。

もちろん、大型のコンペに通れば、知名度も報酬もドンドン上がる。

だから、これは考え方だと思う。

事業をしていると、想定しなかった事に対しての決断を求められるということが往々にしてある。

その時、どんなスタンスを自分は取るのかという軸が重要なのだ。


仕事のスタンスを決める[起業話#12]仕事のスタンスを決める
[起業話#12]